柏水、源希義さん〔3401〕2012/08/07
2012年8月7日(火)暑い!
朝から暑いです。
このにっこりひまわりでは、何度か、源希義(まれよし)さんのことを書いてきました。鎌倉幕府を築いた源頼朝の同母弟。源義経の兄。
平治の乱で、父、源義朝が破れた後、兄、頼朝は伊豆、蛭ヶ小島へ、弟義経は京の鞍馬で軟禁生活を送ることになったのはご承知の通り。平家の監視下。そして希義さんも、ここ、土佐の介良庄に流され、平家監視下に置かれたのもご承知の通り。
その、苦しい生活は二十数年にも及んだのでありました。
治承4年(1180年)、伊豆で頼朝が挙兵、源平合戦の本格的戦闘が始まりました。それに呼応、希義さんも土佐で挙兵しますが、土佐は平家の勢力が非常に強いところ。夜須を本拠にする、数少ない源氏方の豪族、夜須七郎と合流するべく介良を出て東へ向こうた希義さん。
その途中、篠原というところで喉が渇き、農夫に水を所望。教えられたのが、柏の木の根元から湧き出る清水。その水を、柏の葉っぱで掬い、喉を潤した、という伝説があります。その「柏水」伝説の場所、南国市篠原にあることは知っちょりましたが、なかなかよう探し当てませんでした。会社から家まで走って帰るとき、篠原界隈はかなりたつくってみたがですが、それでもよう見つけませんでした。
そして今朝、一仕事済んだ6時過ぎ、思いきって探しにいってみたのであります。道端に車を停め、積んじょった折り畳み自転車に乗って。
それでもなかなか見つかりません。で、農作業をしよったおばあちゃんに尋ねてみることにしました。
おばあちゃん、しゅっとわかりました。
「水が昔から湧きゆうところやろがね。あてらあ、そこを拝んじょいてから畑へ行ったりしよったぞね。」
地元では、大切に大切にされてきたことが判ります。
この場所、高知県埋蔵文化財センターのちょっと南を、水路沿いに東へ行ったところ。介良ゆかりの旭食品さんが、キチンと説明板と歌碑をしつらえてくれちょりました。
この写真の樹は、その、希義さんの時代から数えて3代目とされます。数年前、用水路の護岸工事で、伐ってしまおうという乱暴な計画が立てられ(この辺が行政の仕様のないところ)、なくなってしまう危機に陥りましたが、「源希義公顕彰会」が頑張って阻止、このように残ったのであります。頭が下がります。
その際調べてみますれば、この樹、柏ではなく「チシャノキ」ということが判明。しかも、その生息エリアとしては日本最東端であることも判り、しかもしかも、絶滅危惧種であることも判明したそうです。いやいや、よう残してくれました。
さて、ここで喉を潤した源希義さん、ここから北東へ向かい、現在の鳶ヶ池中学校の前、年越山あたりで平家方と戦闘になって、無念にも討ち取られてしまいました。
田んぼの向こうに、高知県立東工業高校の運動場のネットが見えますが、そのネットの向こうに見えゆう濃い山影が年越山。
希義さんの余命は、ここから、あの山まででした。