金メダル考〔3400〕2012/08/06
2012年8月6日(月)晴れたり曇ったり
蒸せます。
連日、オリンピックの話題がどんどんと飛び込んできて、退屈しません。メダル獲得数はそこそこながでしょうが、なかなか金が獲れませんですね。金メダルというのは、実力と運と、もろもろの条件が合致したときに初めてもらえるもんながでしょう。ですき、それぞれ、頑張りゆう選手達には、温かい視線を投げかけていきたいもんです。柔道で金が穫れんかったちカマンやないですか。
とはいえ、金メダルは特別。
どれっぱあ特別か。高知県出身者で、オリンピックで金メダルを獲得したのは何人かご存知でしょうか。答えは一人。昭和7年のロサンゼルスオリンピック、競泳、1500m自由形で優勝した北村久寿雄さんただ一人。それ以来80年経過しますが、高知県人は誰っちゃあ金メダルをよう獲ってない訳です。それっぱあ、金メダルは特別。
ちなみに、金メダル獲得者の出身県を見てみますと、まだ、金メダリストを輩出してない府県が13もあります。その中で、高知は、一人とは言え輩出しちゅう訳で、北村久寿雄さんは高知の宝。
何度もこのにっこりではご紹介しちょりますき、ご存知の方は多いと思いますが、ここで復習。
高知の菜園場で生まれた北村少年は、近所の鏡川へよく泳ぎにきました。もちろんプールとかはない時代。潮江橋と雑喉場橋の間に、水を少し堰きとめてプールみたいにしちゅう場所があったそうです。50mの折り返しの板をしつらえたりして。
その場所で、旧制中学の学生さんたちが、洋書の水泳理論書を片手に練習に励みよりまして、そこへ北村少年もやって来るようになり、一緒に練習をした訳です。
高知商業学校へ進学した北村少年は、在学中にロサンゼルスオリンピックに出場、なんと14歳10ヶ月で金メダル。
この写真は、その、雑喉場橋と潮江橋の間。朝4時過ぎ。
北村さんが当時を振り返って「戦前の高知市で少年時代を過ごした人ならだれでも経験したことです。夏は一日中、鏡川で水遊びをしているうちに、小学校に上がるころには、もう一人前の河童に仕上がっているのです(略)当時ザコ場附近には各学校水泳部が集まって練習していました」という文章を書いちょります。
こないだも書いたのでご存知でしょうが、北村少年は、その後京都の三高、東京帝国大学と進み、官界で活躍することになったというとてつもない人物。
さて、と、いうわけで、高知県唯一の金メダリストは、この風景の中で育てられました。水流に逆らう練習が効果的であったと本人もおっしゃっております。近代的施設の中で近代的に練習するだけでは、金メダルは獲れない。もっと原始的で野性的で、動物的なことが、金メダルには必要ながかも知れん、と、この風景を見ながら考えてしまいました。いかがでしょう。
この対岸は土居町。戦国中期、四国山中、現在の土佐町森を本拠とする森氏が、この界隈まで勢力を伸ばし、現在の筆山にお城を築き、城主、森頼実さんがお屋敷をつくった場所。そのお屋敷は土居に囲まれちょりましたので、土居町。
森氏は、同じく四国山中から中原に勢力を伸ばした本山氏に討たれ、筆山の潮江城は本山配下に組み入れられましたが、本山氏は長宗我部軍に敗北。森頼実さんの息子、森孝頼くんが、元親さんによって潮江城主に任命され、長宗我部支配下ではあるものの、ふたたび土居が森氏のものになったという、戦国ならではの紆余曲折。