物部川の濁流、あれから1年4ヶ月〔3375〕2012/07/12
2012年7月12日(木)雨のち曇り
昨夜はかなり降ったにかありません。平野も山も。今朝の、会社の裏の物部川を見てみますと、こじゃんと増水して、濁流が恐ろしい勢いで流れよりました。すごい。
ここは、土佐くろしお鉄道の線路の橋。物部川西岸から撮影しました。この西の土手を越え、ひまわり乳業の工場を突っ切って後免方面に向かう線路。対岸は野市。
普段、ここは河川敷の広場で、こっからかなり下に河原があります。物部川の流れは、向こう岸に近い所。ところが今朝は川幅いっぱいに濁流。川の水位も、この広場の縁を洗うくらいまで上がってきちょります。こんながはメッタにありません。山もかなり降りゆうもんと思われます。気を付けましょう。
さて、あの大震災から、昨日で1年4ヶ月でした。いつものように、安政南海地震のその後を克明に記した、宇佐、真覚寺住職、静照さんの日記からご紹介します。
嘉永7年(しゅっと安政に改元)11月5日の南海地震による大津波から1年4ヶ月が経過した、安政3年3月5日の日記。いつものように現代土佐弁読み下し(文責ひまわり太郎)です。
安政3年3月5日 雨
こないだ、東町の、日下村に奉公に出ちゅう娘が、ある夜、天狗に誘われて空中を飛行し、その夜、宇佐の実家の近所へ連れて来て落とされていったという。その娘の衣類の袂には椿の葉っぱとかがどっしこ入っちょって、数日間魚の臭いをこじゃんと嫌うたということぢゃ。以前、日下で逢うたことのある人に聞いてみたら、振り袖を着いた、なかなかの美人らしい。長浜から大内堤上空を通ったことははっきり覚えちゅうということで、近年の一奇事である。(その娘は、宇佐の芝というところの百姓の娘)
お昼前揺れた。夕方小揺れ。その頃雨がやんだ。光明寺さんが来た。夜は星見えず。浪は高い。
興味深い話ですな。天狗に連れ帰られた娘の話。
翌日の日記。
安政3年3月6日 陰天
朝8時頃小揺れ。お昼頃、小松左伝太が、長崎へ行くというて暇乞いに来た。昼過ぎに光明寺さんが上京するというて暇乞いに来た。今晩高知まで行くとのこと。
4〜5日前、この浦の東町の若い男が、喧嘩して酒狂いの余り、相手の男の鼻に噛み付いて、噛み切ろうとしゆうところを、数人がかりで押し分けた。なんとか鼻は残ったけんど、歯の跡がクッキリついて、ずうっと痛がりゆう。命も危ないということで地下役人に届け出たということぢゃ。それから高知の城下の医者に頼んで薬を貰い、今日あたりはだいぶ痛みもやわらいで、命に関わることは無いなったにかあらん。我々はその男を知らんけんど、だいたい、躓いたりしたとき、額を怪我することはあっても鼻を損じたりすることはない。けんど、今度の喧嘩はまた、えらい近づいたもんと見え、鼻にかぶりつくとは実に珍しい事である。こないだの天狗につかまれた話も、この喧嘩のこともホントに珍しい。
皆、鼻の詮議はハナハダ以て危うい事、などと言うておる。
はなが見たくば吉野へごんせ いまはよし野の花ざかり
という歌も有るし、桜が咲く頃は鼻の咄も有りそうなことかも知れん。
夜9時頃小揺れ。浪がこじゃんと高い。
1年4ヶ月経過し、まだ、余震は毎日あるものの、庶民の生活に幅がでてきた様子が窺えます。鼻を食いちぎっちゃあいけません。そしてこの静照和尚、結構駄洒落が好きにかありません。ちょくちょく、こんな軽い文章が見受けられます。こんな軽妙な文章が出てくるようになったのも、津波からかなり時間が経過してからではあります。
ところで、この翌日の日記がまた興味深い。
安政3年3月7日 陰天
朝10時頃、小松くんが旅行に行くというので餞別を持って行っちょった。しゅっとモンて来た。今日も浪が高い。
こないだ、五台山の南の坊の坊さんが、追放されて住みよった他国からモンてきて、かの娘が配されちょった安芸浦にやって来て「乱妨」した。しゅっと召し捕られて入牢。娘は、その日から吟味に逢う。こじゃんと迷惑しちゅう、と言いゆうそうぢゃ。
夜11時頃小揺れ。朝4時前、又、小揺れ。
この話、ご想像の通り、かの、純信お馬のお話。よさこい節で有名になった話で、その、幕末土佐を揺るがせたスキャンダル事件はこんな感じ。で、純信さんは国外、お馬さんは安芸川以東へ追放になりました。
しかし、中年男が恋をしたら大変。この日記にあるように、追放されて住みよった川之江から安田のお馬さんのところへよりを戻しにこっそりとやって来た訳ですが、そこは若いお馬さん。もう、そんな話は昔の話、てなもんで迷惑がっちょります。その経緯は、2008年7月1日のにっこりに書きました。
その、幕末土佐でこじゃんと有名になった事件が、日記に記されちゅう訳です。お馬さんは、せっかく真面目に働きよったのに、この事件のせいで、今度は須崎の西に追放。迷惑やったでしょう。
このストーカー事件がまたまた話題になり、連日、テレビのワイドショーでコメンテーターがレポートしまくりよった、に近い状況になったようです。幕末土佐の一コマ。