長岡台地は洪積台地、台地の先っぽの豚太郎〔3374〕2012/07/11
2012年7月11日(水)曇り時々雨
梅雨前線が北上してきました。一気に北へ抜けてもらいたいところですが、しばらくは雨が続く予報になっちょります。
昨日、山田五十鈴さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできました。あの大女優は、様々な役を見事にこなす、すごい方でした。本格的な映画はもちろんですが、必殺仕事人の、三味線の「おりく」のようなテレビにも出演する、女優魂の塊のような人物でした。学生時代、大好きやった必殺仕事人の、大好きやった登場人物、三味線のおりく。合掌。
さて、写真は、今朝の後免野田。野中兼山さん開削の舟入川を境に、段差があります。このしゅっと右手に南国市立後免野田小学校。左手の、段差の上に高知県立高知農業高校があります。
この段差の上、通称長岡台地を、今迄、河岸段丘と思うて、そんな話をしてきました。しかしどうやら正確に申しますと洪積台地。
洪積世は、今では更新世と呼ぶ、258万年前から1万年前までの時代の地層時代。その時期に、海底で積もってできた平坦面が隆起し、できた台地が洪積台地。調べてみますと、武蔵野台地とかが有名。
特徴として水はけが良く平坦、地盤が固い、とされ、水田には適していない。そこで、関東では、玉川上水が引かれ、土佐では野中兼山が灌漑事業を行って、豊かな農地へと変貌していった訳です。
さて、この長岡台地は、物部川と国分川に挟まれた8kmの長い岡。ですきに長岡。洪積世、海がここまで入り込んできた時代があり、隆起して、その海に突き出す半島みたいになっちょったがかも知れません。
何度かご紹介した、大阪城の建つ上町台地も、海に突き出した半島やった訳ですき。あの上町台地も洪積台地やそうです。なるほど。
この台地、こうやって境目にくると体感できます。メッソ気にしやあせんヒトでも、土佐山田駅からまっすぐまっすぐ南へ行きよったら、山田養護学校の辺りで下り坂になっちゅうがはご存知やないでしょうか。あの坂道が、台地の南斜面。それでは北斜面は、と申しますと、巨峰園さんの前からへんろ石の方へ行くところの坂。あれが、長岡台地の北斜面。
その台地を挟むように、太古の昔、海が入り込んじょった時代がありそうです。
以前、南国市岡豊の北にある奥谷南遺跡をご紹介しました。約2万年前からヒトが住みよった遺跡。高知でも最も古い遺跡のひとつ。その時代、海は、高知大学医学部の界隈まで入り込んじょったとされ、奥谷南遺跡の住人は海を見下ろす場所に住みよったことになります。
その海には、長岡台地が半島のように突き出しちょった時代があったかも知れません。妄想が広がります。
ところで、この写真の場所を南へ行くと、後免の商店街のまん中、末次金物センターさんの辺りで段差がわからんなります。台地の先っぽということでしょうか。
末次と書いて「まつぎ」と読みます。
ここの社長さんは中学、高校の同級生。
とにかく大食漢で、よく食べるし速い。中学生の頃、「豚太郎」さんというラーメン屋さんが高知で流行り始めました。そこで、15分で3杯食べたら無料、とかいうキャンペーンをやりよって、彼はそれを普通に何度も食べ、ブラックリストに載ったとか載らんとかいう噂になったので、ついたあだ名が豚太郎。
50歳を超えた今でも、とても好人物である彼は、同級生たちから親しみを込めて「豚太郎」と呼ばれよります。彼を本名で呼ぶヒトを見たことがありません。名字はともかく、下の名前、同級生でも知っちゅうヒトはほとんど居ないのではないでしょうか。