野市、三叉の小水力発電はどこへゆく〔3330〕2012/05/28
2012年5月28日(月)快晴!
これぞ皐月晴れ。5月も終わりかけになって、やっと晴れてきました。そうこうしゆううちに梅雨になってしまいますが。が、快晴の、一週間の始まりは心地エイですね、こじゃんと。
さて、昨日の新聞に、土佐山の小水力発電が、設置稼働に向けて本格的に動き始めた、てな記事が載っちょりました。高知県は、太陽光や小水力の環境条件がこじゃんと良いので、自然エネルギー先進県になることができます。大切に迅速に育てていってもらいたいところ。
ところで、昨年の大震災の前になりますが、小水力発電のことが注目され、その候補地のひとつになっちょったががここ。昨年2011年2月17日にご紹介しちょります。野市の三叉(みつまた)。正保元年(1644年)、野中兼山さんによって野市に用水路が引かれた際、当時としてはかなり高度な技術によって構築された分水点。この、左端の水路が、このもうちょっと南で、十善寺溝、町溝、東野溝に分岐しちゅう遺構が三叉。2009年6月2日にもその三叉の様子を撮影しました。
震災後、自然エネルギーが注目されるようになりました。で、色々と検討がされゆうがにかありませんが、ここ野市の三叉についての話は、最近聞かんなりましたですよね。どうなっちゅうがですろうか。
こういった分野には完全に素人ですき、理由はちくと想像できません。水量が足らんとかいう話も聞いたことがあります。
が、素人ですきなんとも言えませんが、三叉のちょっと北にあるこの新しい三叉、ここの水量、それでも足らんがでしょうか。行ってみるとわかりますが、ものすごい量の水が上流から流れてきて、ここで3方向に分岐、右の二つは、段丘下の河川敷の方に流れ落ちていきよりますので、ものすごい轟音がしよります。見ゆうだけで恐ろしゅうなってくるくらいの轟音と急な流れと水量。これでも、なかなか小水力発電には不適ながでしょうかね。なかなか難しいもんです。
ところでこういった農業用水は、我々が考えちゅう以上に、その権利関係は難しく複雑。古来、農業の歴史は水争いの歴史というたち過言ぢゃあございません。水の利権を握る、上流の分水点に近いところに、蔵のある大きな大きな家が建っちょったりすると言います。
この用水は、こっから物部川をさかのぼった町田という地区の堰から引かれてきちょります。その辺り、たしかに大きな家が多いような気がしますな。その町田堰からもっと遡ると、片地というちょっと開けた場所に出ます。片地川という川が東の山から流れてきて物部川に流れ込んじょります。その片地川から取水する近藤井と影山井という農業用水がございまして、その二つの用水の間では、古来、何度も何度も深刻な水争いがあったことが伝えられちょります。
こうやって眺めると、不足しそうにないような大量の水が流れていく農業用水。が、その管理は農業者にとって最重要な問題でもあります。それは現代でも。