愛宕の吉沢牛乳店〔3325〕2012/05/23
2012年5月23日(水)晴れ!
よいお天気。もっともっと気温が上がったら嬉しいですけんど。高知では、もう、あちこちで紫陽花が咲き始めました。梅雨も近いかも知れません。梅雨入り前に、色んな山をたつくってきたいとマイマイしよります。
さて、高知市が、高知市史を編纂するなかで、絵図地図編として「描かれた高知市」という冊子を発売しました。B4版219ページにも及ぶ大作労作で、藩政期の高知の絵図から近代、現代の市街図、地図に至るまで、夥しい資料が網羅されちょります。これ、欲しかったがですが、昨日、遂に購入してきたのでありました。う〜ん、嬉しい。これ、眺めよったら厭きません。すーっと引き込まれていきます。
そして。
貴重なものを発見しました。
155ページに掲載されちゅう「江ノ口中央部新町名一覧」という地図。昭和11年、江ノ口新町名普及会発行。当時、「読み易く、明るく、感じ良き町名」ということで、大規模に町名変更が行われたと書かれちょります。いつの時代も、権力を持った人にかぎって大勘違いをする例がある訳ですな。と、そんな話は置いちょいて。
その地図の中の、愛宕町二丁目の部分。現在の、中の橋通りのJR高架の界隈。高架の前は踏切やった界隈。これを北へ行くと、愛宕大橋から愛宕山、中秦泉寺、正蓮寺。この地図の、踏切の部分は、このにっこりでも何度かご紹介しました。
2003年7月18日には、まだ、高架工事が始まる前の踏切と金曜市の様子。同じアングルで、2007年12月28日、高架工事が完成したその場所。そして、2007年2月1日のにっこりの記事をご覧下さい。その場所で、昭和の初め頃、ひまわり乳業の前身が、木造3階建の乳処理場を運営しよったことを書いちょります。
実は、その痕跡や資料がありませんでした。その痕跡を、この地図で発見したのであります。いやいや、ビックリ!
接写しちょりますので、丁度、ピントの合うた部分をご覧下さい。踏切の向こう、明石バス終点の北に「吉沢牛乳店」とあります。
大正11年、秦泉寺で牛と山羊を飼い始めたのがひまわり乳業の創業。そして、昭和になって、この愛宕の踏切の北側に乳処理場を建設、小さいビンに充填して配達をしよったのでありました。
ひまわり太郎の父親たちは、秦泉寺生まれですが、この愛宕の処理場で少年期を過ごしちょります。ですきに、小学校は秦小学校ではなくて江ノ口小学校。
そう言えば、伯父が、愛宕の踏切界隈で、この辺にバスの終点があった、と話しよったがも、これで証明できました。
2010年12月28日にご紹介した吉澤壽園のやぎちち値上げ広告といい、今回の地図といい、今になって、知らんかった資料が出てくるがには感動します。
ともあれ、高知市史の関係者の皆さん、ありがとうございます。