新土佐街道、立川番所〔331〕2004/03/12
2004年3月12日(金)雨
今日は雨。あたたかい雨が降ってます。
昨日、香川へ出張で行っちょったもんですから、今朝早く車で高知へ戻ってきました。高知自動車道を戻って来ると、曇り空に黄砂がうっすらと立ちこめ、不思議な景色になっちょりました。
片側一車線の高知自動車道は、四国山脈をぶち抜いて建設されちょります。従いまして、トンネルばかりでございます。高知県と愛媛県の県境には「笹ヶ峰トンネル」という四国で一番長いトンネルが横たわっちょります。
このトンネルの高知県側は、長岡郡大豊町。丁度、この高速道路のルートに沿って、古代から、土佐から都へとつながる道が開けちょりました。平安時代に官道として開かれ、土佐国側に「丹治川(たぢかわ)駅」、伊予国側に「山背(やましろ)駅」が設けられたと、日本後紀に書かれちゅうそうです。
江戸時代、参勤交代のルートは、最初は船を使った海路でした。6代目藩主山内豊隆公のときに陸路が利用されるようになり、「高知城下」→「南国市領石」→「本山町」→「立川」→「笹ヶ峰」→「馬立」→「川之江」というルートが確立されました。この「立川」が、日本後紀に書かれた「丹治川(たぢかわ)駅」。ですので、いまでの「立川」と書いて「たじかわ」と読みます。ここには大きな番所が置かれ、今でのその建物が残されちょります。
往時は、土佐と他国を結ぶ主要幹線ルートとして栄え、「土佐街道」とも呼ばれた道ですが、明治になって国道33号線のルートが出来、国鉄がそのルートに沿って完成すると、土佐街道は次第に忘れられていきました。
そして時は流れ、平成3年になり、高知自動車道が、この土佐街道に沿って作られ、「新土佐街道」として蘇ったのであります。
この立川番所があるところの近くに「立川パーキングエリア」が設けられちょります。写真は、その立川P.A.の風景。向こうに見える記念碑が、「新土佐街道」として復活したこのルートを讃える碑です。