山内神社の鯨海酔侯〔330〕2004/03/11
2004年3月11日(木)曇り
暖かい朝になりました。昨日のテレビで、東京横浜の桜の開花予想が早まったとの報道がありましたね。頑張れ高知!
さて、今朝も鏡川を遡行、いつもの潮江天満宮を抜けて、柳原橋を渡り、山内神社へ来てみました。この神社、明治になってから、15代藩主山内豊信(容堂)公、16代藩主山内豊範公を祀る神社として建立されました。今では、初代の一豊公なども一緒に祀られております。
写真は、15代豊信公。容堂という号の方が有名ですね。バックには、鏡川を挟んで龍馬スタジアム、その向こうに筆山が見えております。
山内容堂公は、幕末に大活躍した偉大な藩主でございます。最後の将軍になる一橋慶喜を推して、福井の松平春嶽、薩摩の島津斉彬、宇和島の伊達宗城とともに守旧派と対決、安政の大獄で一時失脚するも、時世の変化でまた中央政界に躍り出ました。
1867年に、後藤象二郎の進言を取り入れて将軍に大政奉還を建白、実現に至らせます。写真の像は、一昨年建立されたもので、題字には「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」と書かれちょります。ちなみに、この題字を書かれたのは18代山内豊秋さん。昨年惜しくも他界されましたが、その高潔な人格で多くのひとに尊敬され、親しまれておりました。素晴らしい方でしたね。
容堂公は、明晰な頭脳と行動力で有名ですが、もうひとつ、酒をこよなく愛し、書を愛し、詩文に優れた粋な殿様でした。自ら「鯨海酔侯」と号し、鯨のように豪快に酒を飲んでいたそうです。この像でも、右手に持ちゅうがは酒の入った杯ですね