命山の痕跡〔3290〕2012/04/18
2012年4月18日(水)快晴!
今日もまた良いお天気。雲一つない、青い空。暑いくらいの陽気になりそうな、そんな朝。にっこりひまわりは、9年を超えても、まだまだ続くのでありました。
さて、こないだうちからの「命山」の話。南国市の、空港の南、久枝には、室岡山、または久枝山という名称の、標高28.2mの山がありました。南路志などによりますれば、その山には、長宗我部の時代には既に八幡宮が鎮座し、文禄2年(1593年)の棟札に「大檀那秦元親公」とあると書かれちょりますね。そして、行基作と伝えられる地蔵菩薩をご本尊とする「室岡山宝積坊福楽寺」というお寺さんもありました。そのお寺は、1707年の宝永南海地震の津波で流失してしもうたという記録が残ります。
いつもの野市、上岡山にも八幡様が鎮座ましまし、金剛院さんというお寺もございます。こないだ書きましたように、室岡山と上岡山は、双子のような関係やったがかも知れません。
その室岡山は、過去の大津波や大洪水の際、あの地区の多くの皆さんの命を救うてきて、「命山」と呼ばれるようになった訳ですが、太平洋戦争で、海軍が飛行場を建設するに際して取り壊されてしまいました。どうやら、その山の土は、飛行場造成に使われたにかありません。
山が崩される際、八幡様は、下島の十八所神社や近在の諸社と一緒に、三島神社として合祀されることになりました。昭和16年のこと。
そこで、今朝は久枝の三島神社をお参りしてきました。昭和16年以前、天保や明治や大正の年号が刻まれた灯籠、狛犬、手水があります。それぞれのお宮さんから、ここに移設されてきたものでしょう。
どれが、命山の八幡様から遷されてきたものか。かなりのものがそうやと思われますが、どっかに決定的証拠は、と探しよったらありました。
この鳥居は、大正十四年と刻まれ、扁額にハッキリと「八幡宮」。間違いなく、命山の久枝八幡宮から遷されてきたもの。命山は、ここで、その痕跡を残してくれちょったのであります。