田んぼの朝焼け、カラスノエンドウ〔3285〕2012/04/13
2012年4月13日(金)晴れのち曇り
13日の金曜日。13日が金曜日になる確率は、当然のことながら7分の1ですき、年に1回か2回はある計算になります。が、今年は、1月13日も金曜日で、7月にも13日の金曜日がありますきに、3回。
なにやら不吉なことが起るとか起こらんとか言われる13日の金曜日ですが、前回、2012年1月13日(金)には、野田政権が発足しちょります。なるほど。
その日、にっこりでは、久枝のお地蔵さんをご紹介しちょります。宝永地震津波で人々を救うた、今は無い「命山」の近く。津波で流されたお寺さんのご本尊やったかも知れんお地蔵さん。今の場所は、今回の津波最悪想定では、完全に海没してしまいます。
ここは、そこから西北へ行った、海岸から3kmの県道。空港滑走路の北側に位置します。
この近くの滑走路界隈、弥生時代には南四国最大規模の集落があったがはご承知の通り。弥生時代は数百年続いちょりますき、その間、津波に襲われたこともあったでしょう。
こないだ、高知大学の岡村先生が、今から2000年程前に、巨大な津波が高知を襲うたことがわかったと報告しよりました。土佐市の蟹ヶ池で、有史以来最大規模と目される宝永津波で堆積したと思われる砂の層が15cmやったのが、2000年程前に、津波で堆積したと思われる50cmの層が見つかったということ。ちなみに宝永津波の、その附近での津波高は25mとわかっちょりますき、2000年前、土佐を襲うた津波の規模ははかりしれません。
この界隈の弥生遺跡などを発掘すれば、ひょっとしたら、津波の痕跡が見つかるかも知れんですよね。今迄、そんなつもりで発掘調査してこんかったでしょうき。その2000年前の津波では、ここはどんな様子になっちょったでしょうか。
岡村教授も、避難タワーではなくて避難山の構築が有効であるとおっしゃっておられます。ここに標高30m規模の「命山」があったら。
技術的な問題は、少なくとも地下シェルターを研究するよりは簡単で現実的でしょう。とにかく早うにつくれます。場所さえあればすぐに造れる「命山」。
今朝は、ご覧のように美しい朝焼け。はるか向こうに三宝山が見えます。この田んぼはこの界隈では田植えが遅く、まだこんな状態。
田んぼの脇には、ご覧のように豆科の植物。カラスノエンドウやと思います。カラスノエンドウとスズメノエンドウ、そしてその間のカスマグサはよう似いちょりますが、葉っぱが結構大きいのでカラスノエンドウでしょう。