当たり前の日常と娯楽〔3253〕2012/03/12
2012年3月12日(月)晴れ!
冷やい朝。このところ、身体はすっかり春対応になってきちょりましたので、今朝の冷やさにはビックリしました。北の山々を見るとうっすらと雪化粧。お日様が出たらしゅっと消えるでしょうが、この時期に雪が降るとは。なかなか油断なりません。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮の参道入口。澄んだ空にお月様がキレイな朝。正面の標柱が、何度かご紹介してきた、安政南海地震津波被害を伝える碑。明治になってから、地元の嶋内武金さんという方が建てられました。
嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、人いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記
と、刻まれちょります。
あれから一年経過しました。高知県下には、こういった、安政地震津波の様子を伝える碑がたくさんあります。昨年の地震直後にいくつかご紹介しました。その碑文にはかなり貴重な情報が書かれちゅうがですが、どれこもれも普通に読めるようなものではないので、なんとか、あれを読み下して子供でも読めるような案内板を設置したいものです。
さて、昨日、当たり前の日常のありがたさ、ということを書きました。宇佐、真覚寺住職、静照さんの日記でも、大津波から1年経った頃には、各地で相撲大会などが開かれ、なんとか、苦しい状況から復興していく人々の、通常の娯楽を楽しむ姿勢が見えてきます。
震災から10ヶ月ちょっとが経過した安政2年9月21日の日記に興味深い記事がありました。
安政2年9月21日 晴れ
朝の11時ばあに本町を出て江口へ寄り、宇佐の婦人と一緒にモンた。昼ばあからは照りつけてこじゃんと暑かった。
鶉坂(うずらざか)で休憩をとり、そこの蒟蒻屋の八右衛門さんに、その店の来歴を尋ねてみたら、昔、二代藩主山内忠義さんが当所に鹿狩りに来た際、あしの先祖の権兵衛というモンがお茶を差し上げたところが、こじゃんと喜んでくれて、永代、この場所を与えるきに、おまんの子々孫々、ここでお茶を炊いて商売にせい、と言うてくれたそうぢゃ。おん直々にそのお言葉を頂戴したもんぢゃき、それ以来、うちんくの「株」として、今もこうやってここで茶を出しゆうという訳ぞね、ということぢゃ。
夕方、宿へイニ着く。同時に小揺れ。夜になって風が吹いて寒うなった。
(この頃、坊さんかんざしの歌大流行につき、婦人を連れ歩くがはちくと避けたいところであった。けんど、頼まれたき仕方がない。その歌に歌われちゅうがは儂ぢゃあない、という顔でモンてきた)
後の注意書きが面白うございます。安政南海地震の半年後、高知の城下でおきたエリート僧大スキャンダル事件「純信お馬事件」は、震災で沈打ちひしがれちょった庶民に格好の話題を提供し、あっという間に歌までできて広まっていったようです。
この日記は、そのスキャンダル事件からまだ4ヶ月。しかし、もう、よさこい節のスキャンダルバージョンは出来上がって、大流行しちょった訳です。
おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買いよった
復興に向けて必死に生きていく人々が、なんとか当たり前の日常を目指すなかで、こんな話題を楽しみにしている風景。