1年目〔3252〕2012/03/11
2011年3月11日(日)晴れ
今日で1年。あの大震災のとき、丁度、午後3時からの会議に出席するべく、土佐道路の福祉交流プラザ駐車場に車を停めよりました。携帯メールにニュース速報が入ったとき、その数値の異常さに戦慄した記憶があります。
会議は、どうやら大変なことが起きちゅう、ということで1時間弱で終了。1階のロビーでテレビを見ると、丁度、大津波が何もかも呑み込んでいく凄まじい場面を写しちょりました。あれから1年。
あらためて亡くなられた皆様のご冥福をお祈りし、被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。今でも信じられないような、そんな大災害でした。この1年、原発事故のこともあり、色んな事を考えさせられました。大手マスメディアのように、好き勝手に色んな批判をしまくるのは勝手ですけんど、今、もっと真剣に、真摯に、それぞれが考え実行していく必要があると強く感じます。全員、無責任ではイカンがです。今、せんといかんことの優先順位を、立場とか利害を超えて決めて行くこと。足を引っ張り合うたり組織防衛をしたりしゆう暇はない。
さて、一昨日のにっこりでもご紹介しましたが、安政の大地震と大津波に襲われた宇佐では、それから丁度1年の安政2年11月5日、近隣の相撲取りに声をかけて相撲大会を催しちょります。復興に向けて、様々な取り組みをし、苦労をしてきた一年の労をねぎらい、相撲大会をやった訳です。相撲は当時の娯楽の王様。
ちょっとづつ、普段の生活に戻っていこうとする村人たちの想い、願いが、そんな相撲大会に込められちゅうがでしょうか。
あれから1年ということで、特別なことを書こうかと思いよりました。今日は高知の街や海が鳥瞰できる筆山、鷲尾山をたつくりに行っちょったので、そんな写真もたくさん撮ったので、それをご紹介しながら震災、津波のことを書こうかと思いよりました。が、そんな宇佐の1年目の日記を見ながら、考えを変えました。日常を書こう。
今日、午後1時くらいの大津、美術館の北西。ここで、高知県投網連盟というところが主催する投網の大会をやりよりました。右端の幟にもあるように、「土佐流投網」。なんでも、長宗我部の一領具足が、海の防衛を考えて始めたという伝説のある土佐流投網。陸上で、その投げた網の広さを競います。土佐独特の文化。
年4回行われる本場所の、今日が年最後の場所。これで番付が決まります。
80歳を超える長老もいらっしゃって、美しいフォームで投げよりました。師弟関係や地域地域の流儀が残る、土佐の文化。200名を超える会員が居った時代もあるそうですが、今は25名くらい。高齢化も進み、最年少も50歳代。しかし、この網をつくったり色をつけたり競技技術を上げたり、というのは、残していきたい文化であります。
震災一年目で相撲大会がありました。投網も、このように陸でやって番付を付けたり、川漁師の投網の大会があったりと、これも結構な娯楽やったようです。こんな娯楽で楽しみながら、復興へ、ありきたりの日常生活へ向かい、頑張っていったことでしょう。
ありきたり、あたりまえの日常生活の素晴らしさ。