明日で一年〔3251〕2012/03/10
2012年3月10日(土)晴れ
春の土曜日。穏やかな土曜日ですが、明日で、あれから一年。色んなことがあり、色んなことを考えさせられた一年でした。ヒトのやることに文句をつけたり批判するがは簡単ですが、とにかく、被災された皆さんは驚くような精神力で復興に向かいよりますので、我々は我々のできることを着実に継続的に、です。
今朝は、久々に五台山を駆け上ってきました。昨日一昨日、ちょっとガイめに走ったら膝がちくと痛うなったので、負担をかけんように自転車で。いっつも乗りゆうコンマい自転車(一応6段変速)のギアを一番重いがにして上りますと、標高146mの五台山とはいえ、結構心臓バクバクでコタいます。そしててっぺんの展望台からの風景。
ここからは、高知の街がすべて鳥瞰できます。その街の仕組み、成立ち、自然環境が手に取るようにわかります。左側が鏡川河口。丸山台が丸うに見えます。鏡川の右手、中の島の棒堤を挟んで堀川の河口。その右手はかつての稲荷新地、現在の若松町。
こっから見ると、高知城の山は、写真左、鏡川の向こう側に見えます。標高44.4mの大高坂山。建物にかくれて江ノ口川は見えませんが、高知の中心部は、鏡川と江ノ口川に挟まれたところにあります。この、写真に写っちゅう市街地の大部分は、平安時代の頃まで、浦戸湾でした。写真の右端に茶色い大きなマンションが見えます。あそこは比島山。昔、浦戸湾に浮かぶ比島という島でした。
中世、徐々に灌漑されて土地利用が進み、治水工事もおこなわれて、ちょっとづつ街が形成されていった河内。こうち。高知。
あの大震災の後、防災意識は一気に高まり、この県都で震災、津波に立ち向かう方法が本気で検討されるようになりました。まずは逃げる場所、方法でしょう。そして、地震で地盤が1〜2mは沈下するので、襲うてきた海の水は、しばらくは引きません。古代の浦戸湾のような状態になるかも知れません。
そんなこともあんなことも、色んなことを考え、できることを優先順位を付けて着実に継続的にあきらめずに。