高須の田んぼ、水張り、1年前〔3254〕2012/03/13
2012年3月13日(火)晴れ
今朝も冷えました。もう、車で香川まで来ちょりますが、雪が降って白うなった四国山地を越えてきました。このところヌクうなったり冷ようなったり。こうやって、季節は着実に春へと進んでいきます。
春といえば田植え。ここは高知市東部の高須。キレイに整備された田んぼが広がる、土佐の穀倉地帯。以前にもご紹介しましたが、ここは、圃場整備されるまでは、湿地帯に広がる湿田。十石舟と呼ばれる田舟で行き交い、農作業をしよりました。今は田舟が通りよった水路も暗渠になりました。
写真は、その暗渠の上の道端。午前5時。これから田植えを迎えるこの季節、暗渠の下からは絶え間なく水が流れる音が。そして、こうやって、水路からポンプアップして水を張りゆう田もあります。こうやって一度田に水を入れ、それから代掻き。そしてもう一度水を張って、田植えという段取りでしょうか。
実は昨年も、この界隈の田に水を張る場面をご紹介しちょります。3月11日の朝。そう。あんな大災害がおこるとは夢想だにせず、春の訪れをご紹介した2011年3月11日の早朝。そんな訳で、まだ真っ暗い早朝、ここで田に水を入れる場面を見ると、昨年のことを思い出してしまいます。
中世以前、五台山は大島と呼ばれる島で、この界隈は浦戸湾の下でした。徐々に灌漑され、藩政期に入ると、たぶん湿地帯。湿田もあったでしょうか。
1707年、宝永4年の宝永南海地震大津波の被害を記録した「谷稜記」を、何度かご紹介しちょります。それには、高須、桂島(葛島)、八頭(屋頭)の被害状況を、次のように記録しております。
潮ハ山マデ 家ハ軒ヲ侵シ 冬ヲ終テモ落ザレバ 居民 所ヲ失ヒ 山所穴居ノ有様 目モアテラレズ
現在、県下有数の美田地帯となったこの地域ですが、宝永地震津波ではこのような惨状。しばらく浸水したままで住む所も無いまま、山に穴を掘って冬を越したということです。
そんなことが嘘のように、この一帯では、間もなく、のどかに田植えが始まります。