松山城と湯築城〔324〕2004/03/05
2004年3月5日(金)快晴!
今日は出張で松山。愛媛県松山市は、四国では一番大きな街で、高知に比べますととても「文化的」な街と言えるでしょうか。昨日、高速バスでやって来たのですが、高知と愛媛の県境あたりで雪が強く降っていたのには驚きました。昨夜は結構冷やかったです。
さて、左の写真は、今朝6時前の松山城から眺めた松山市内。朝、5時過ぎに起きだして一気に駆け上がってみました。標高132mありますので、心臓バクバク。以前にも書きましたが、この城は賤ヶ岳7本槍で有名な加藤嘉明が築城した名城。別名「金亀城(きんきじょう)」とも言われますが、これは、この城を築く際にこの山(勝山)の内堀の処が深い淵になっており、そこに金色の亀が棲んでいたと言われることからついた愛称なんだそうです。
右の写真は、その松山城から北東へ2kmばかり行きました「湯築城(ゆづきじょう)」跡公園。ここは、道後温泉のすぐそばの小高い丘にある、全国的にも珍しいとても保存状態の良い中世の城跡ですね。この城は、14世紀初頭に伊予国守護の河野通盛(こうのみちもり)が築いたのだそうであります。河野氏は「河野水軍」で有名でして、源平合戦にも活躍した一族ですね。この城は250年間にわたって、河野氏の居城として伊予国を睥睨しておりました。戦国末期に、羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景によって攻め落とされ、その後廃城になったのだそうです。
この山の麓の公園は、昔の遺構がきちんと整備されて見られるようになっちょります。すばらしいです。
ここには「岩崎神社」という神社がありまして、河野氏などが祀られちょりますが、蛇を祀っているとの言われがあるのだそうです。神社の前の看板に書いちょりました。なんでも、昔、おじいさんがたけのこを掘りに来て急に眠くなり、木の根元に座り込んでたばこを一服して吸い殻をポンっとその根っこへ落としたところが、遠くの方からアッチッチという声が聞こえた気がしたそうです。木の根っこと思っていたのは大きな蛇だったそうで、おじいさんは大蛇に食べられてしまいました。この大蛇、村中を荒し回ったので、困り果てた村人が、神社をつくって祀ることにしたのだそうです。その後は大蛇も暴れなくなり、村も平和になったのあそうです。めでたしめでたし。