地域への愛、信仰、想い〔3239〕2012/02/27
2012年2月27日(月)快晴!
今日は高知、良いお天気。ちくと冷え込んじょります。この季節、ぬくうなったりひようなったり。体調管理を万全にせんと風邪ひきますな。
さて、ここは赤岡。現在の香南市赤岡。街のちょっと北側の小山に鎮座まします須留田八幡宮さん。元弘年間(1331年〜1334年)勧請とされる、赤岡の街の隆盛を支えて来た八幡様。
その時代は、後醍醐天皇が活躍し、南北朝の争いが烈しかった時代。土佐でも、どちらかの勢力に加担し、勢力争いをしよりました。
ここ須留田の領主、須留田氏は、その時代、須留田式部大夫入道心了さん、長いので短うすると須留田心了さんがご当主。足利尊氏に属して戦うたとされますきに、北朝方の勢力やったがでしょう。
この八幡様の南側の小山には、須留田城がありました。その城址にあった城山神社は、現在、この境内に遷座されちょります。
その城山の跡には現在高知県立城山高校。ですきに、当時のお城の痕跡はほとんど残されちょりません。「首洗いの池」というのもあったそうですが、それも今は城山高校の下になって痕跡をとどめちょらんそうです。身近なところにアッと驚く歴史が潜んじょりますき、気を付けんといかん、という例のひとつですな。
さてこの八幡様、とにかく驚く程立派。その理由は、熱心な氏子さんが巨額のご寄進をされちゅうき。以前にも書きましたが、この八幡様の隣に住む北村さん、昭和51年の修繕工事では50,000円のご寄進。昭和59年の改築工事では200万円、そして平成9年の「平成普請」では「特別寄進」。もちろん、北村さん以外の氏子さんたちも、それぞれ、かなり大きな金額をご寄進され、大切にされてきたことがわかりますが、北村家のご寄進は桁が違うようです。
ちなみに、「平成普請」の内容は。
建立
神輿庫 社務所 鳥居 手水 納戸 遺品置場 雨落溝 厠
本殿前赤御影石 参道御影石 境内庭園 給排水及衛生施設 外燈
修復
本殿及土台 塀 石垣 玉垣 石段 狛犬台座 燈明台台座 参道玉石垣及入口亀甲石垣
う〜ん、すごい。ご承知の通り、北村さんは、技研製作所の創業者。地元に対する愛は、それはそれはたいしたもんです。ご寄進額は、0が8つとも言われます。この八幡様の立派さを見よりますと、それっぱあの金額は想像できますね。
この写真の中央が「参道御影石」でしょう。左右が「庭園」。左端が「手水舎」。
昨年2011年の10月11日にご紹介しちゅう写真が「本殿前御影石」。「納戸」や「遺品置場」も見えます。
地域を愛し、地元を大切にし、氏神様を尊崇する。こういった基本を大切にすることが、あの素晴らしい企業をつくりあげていったがでしょう。