千葉、柏、京北スーパーへGO!〔3236〕2012/02/24
2012年2月24日(金)柏は晴れ
てな訳で今朝は千葉県柏市。昨日の最終の飛行機で羽田に飛び、モノレール、山手線、常磐線を乗り継いで到着しました。
柏と言えば、以前にも書いたように、近くの豊四季という所に高校の同級生が住みよったので、学生時代、よう来ました。
今朝はそんなに冷ようないですが、東京圏の皆さんは必ずコートを着込んじょります。一番寒そうなのはスカートの短い女子高生達。大丈夫でしょうか、あれで。
さて、何故、千葉の柏か。それは、この界隈を本拠とする食品スーパー「京北スーパー」様全店で、今日から一週間、「まるごと高知フェア」というがをやるようになっちゅうきです。で、本日は江戸川台店様、明日は柏店様、明後日はapris店様で、高知育ちシリーズヨーグルトの試食をやります。ご近所の方は、ぜひぜひお越しになってみてください!
さてさて、そんな訳で今朝は柏界隈をたつくって来ました。柏市のホームページで史蹟とかを調べてみましたら、ここのことが載っちょりました。「酒井根原の合戦」の古戦場跡。
応仁の乱が始まって戦乱の世になった15世紀後半。関東も、足利公方家とか関東管領上杉家とかが入り乱れての勢力争いになりました。色んな曲折があって、公方家と管領家が仲良うなったら都合が悪い下総の千葉孝胤と、扇谷上杉家の執事から勢力を伸ばした武蔵の太田道灌が闘うこととなったのでありました。あの、江戸城を最初につくったがで有名な太田道灌。
で、その二者の戦いのクライマックスが、この界隈の戦やった訳です。酒井根原。この戦いは熾烈なものとなり、太田道灌方が勝利。戦死者の屍が累々と転がることになり、その霊を弔うため、太田道灌が、敵味方の区別なく埋葬した、ということです。その際、首、胴体、武具を分けて埋葬したので、「首塚」「胴塚」「刀塚」ができたという訳です。
ここは新柏と南柏の間の団地。高層のマンションが立ち並ぶ、通勤に便利な住宅地。その真ん中に、この史蹟はありました。案内板には「酒井根合戦場」とだけ書かれちょりますが、実は「首塚・胴塚」。あまりに生々しいので、そうは表示しちょらんがでしょう。団地の真ん中に、奇跡のように残された塚。ディベロッパーも、ここにはよう手を付けんかった訳です。
高知にも、戦国期の合戦の跡で、住宅地になっちゅう場所があります。そんな一つが、長浜の戸の本古戦場。長宗我部元親初陣の戦と言われる、長宗我部vs本山の戦い。2007年11月18日のにっこりで、その古戦場をご紹介しちょります。そこにたつ碑には「古墳也勿毀」、つまりここには戦死者が埋まったりしちゅうき掘り返したらいかんぞね」と刻まれちゅうがです。
身近に、ホントに身近に、いろんな歴史があります。
ともあれ、これから一週間は千葉の京北スーパーが熱い!