雨に濡れる秦泉寺の白梅〔3237〕2012/02/25
2012年2月25日(土)降ったりやんだり
今日は高知。夕方の飛行機でモンてきまして、昨夜は街に飲みに出ちょりました。なかなかハードなスケジュールをこなす毎日。今日の高知は小雨がパラついたりするお天気でした。
ここは秦泉寺。高知市北部の山裾。ここに、ひまわり太郎の実家がございまして、その庭の梅の花が満開でした。雨の中の梅も、それなりに風情があってよろしいものでございますな。
ひまわり乳業は、この場所で、大正11年に創業されました。ここで、この場所で、牛や山羊を飼い、近所に売ってまわったががその始まり。その当時、「実験 山羊」という書物に出されちょった広告があります。2010年12月28日のにっこりひまわりでご紹介しました。「市外秦泉寺 吉澤壽園」の、牛乳と山羊乳の値上げ広告。そこにも書きましたが、当時、葉書の郵便料金が1銭5厘で、山羊乳が1合12銭。なかなか高価な飲み物でございました。
さて、この山裾を、現在は高知市の北部環状線という道路が通り、かなりの交通量になっちょります。中秦泉寺の交差点から西へ行くと、道路は少し下っていきます。この傾斜が、まさしく、古浦戸湾の陸と海の境界ということはメッソ知られちゃあしません。土佐日記の時代、浦戸湾は、ここまで入り込んじょった訳です。
以前にも書きましたが、この南東の愛宕山の南が港になっちょって「中津」。紀貫之さんが船出したがが「大津」で、洞ヶ島の北側にあった港が「小津」。中津に近かったこの場所は、白鳳時代の寺院跡の遺跡もある、古くから栄えた土地なのでありました。海沿いに栄えたという訳ですな。
つまり。この梅の木は山をちょっと上がった所にあるき大丈夫ですが、この下の昔海岸線やった場所は、津波によって浸水する可能性があるということ。海岸線の南の低い場所は、かなり可能性が高いということになります。ひまわり太郎が子供の頃は、一面の田んぼと湿地帯でした。古い家は全部、山裾の、旧海岸線からちょっと上がった場所に建っちょります。