弥生時代の土佐は賑やか〔3204〕2012/01/23
2012年1月23日(月)快晴!
キレイに晴れた月曜日の朝。そんなに冷え込みは厳しゅうないです。夜が明けるがが早うなってきました。もう、しゅっとそこに春が見えゆう高知県地方。
さて、昨日、バーガ森北斜面遺跡岩神地区の、高地性集落跡をご紹介しました。弥生時代中期末頃、つまり今から2000年くらい前の、現在発見されちゅう中では四国最大規模の高地性集落と思われます。
やっぱし現地に行ってみんと、いろんなことがわかりません。昨日わかったのは、あの集落は、北斜面にも関わらず、結構日当りが良い、ということ。この、お日様が低い季節に、昼間、太陽は南側の山の上を通過しよりました。ほとんど日陰になりません。冬でもメッソ冷ようなかったようです。防御に有利で水を利用しやすい、それでいて日当りもまずまずの立地条件やった、ということが、目から鱗でした。
高知の弥生集落と言えば、ひまわり乳業から南へ行った、高知空港界隈の田村遺跡。ここは、弥生前期から後期にかけての長い長い期間、大規模な集落が形成された、かなり規模の大きい集落跡。空港拡張工事の際に発掘調査され、現在は滑走路の下。
滑走路の北西部分が、このように公園になって整備されちょります。案内板によりますと。この集落跡で発見された竪穴式住居跡は440棟。掘立柱建物跡が220棟、土坑2000 基などとなっちょって、かなりの人口を抱える集落やったことがわかります。
この田村の集落の最盛期はどうやら弥生中期後半から後期前半。つまり、昨日ご紹介したバーガ森北斜面遺跡と、時期がかぶります。その時期、高知には、たくさんの集落があったがでしょうか。
ここ田村遺跡は空港拡張工事、バーガ森北斜面遺跡はバイパス道路工事、こないだの御手洗遺跡も道路工事、昨年6月25日ご紹介の香長中学校の弥生遺跡は、中学校の武道館建設工事、と、すべて、大きな公共工事を機会に発掘調査が行われちょります。
つまり。そういった場所ではない、民地とか普通の山とかの場合、滅多に発掘されることはないということ。田んぼや住宅をつくりよって、遺跡みたいなものが出て来たら、慌てて見んかったことにする、という話はよう聞きますもんね。工事が止まってしまうき。
そんなことから考えると、ここ田村遺跡やバーガ森北斜面遺跡のような、大規模な集落が、もっとあちこちに散在しちょったかも知れません。いや、たぶんそうでしょう。弥生時代の土佐は、今まで想像しよったより遥かに人口の多い、賑やかな土地やったがでしょうか。
同時期の弥生遺跡でも、性質が随分と違います。ここから出土する土器は、瀬戸内方面から運ばれてきたものが多く、バーガ森は地元産の土で焼かれた土器が多かったりします。田村は畿内や瀬戸内とつながりが深い勢力を持ち、バーガ森は地域独立系やったがかも知れんですね。妄想が暴走します。