200年前の灯籠、200年住宅論〔3205〕2012/01/24
2012年1月24日(火)おうの冷やい
冷え込んできました。最近、ぬくい日が続きよりましたき、こじゃんと冷ように感じます。お天気は快晴。青い空が澄みきっちょります。
ここはいつもの上岡八幡宮。参道入り口の脇。正面の、先が三角形に尖った碑は、何度かご紹介してきた、安政南海地震の津波の様子を刻んだ碑。明治15年、地元の嶋内武金さんによって建てられちょります。
嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、人いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記
と、刻まれちょりますね。手前の灯籠は、この八幡様でもかなり古い時代に寄進された灯籠。文化九壬申歳 八月十五日 と、刻まれちょりますき、今から丁度200年前のご寄進。200年ですきんね。色んなことを目撃してきたでしょう。
以前、「200年住宅」というがが議論になったことがありましたが、今でもあの議論は生きちゅうがでしょうか。要は、200年もつ住宅をつくりましょう、という話でした。まず、頑丈な家をつくる。老朽化したパーツを取り替えれるような構造で。で、維持管理をシステムとしてキチンとできるようにする。それから、その家の修繕とかの履歴「家歴書」を整備して、その家が流通できるようにする、というものでございました。なかなか良い考え方やと思います。目先しか見んづくとに、使い捨てのように構築物をつくっていくがは、もうエイでしょう。
こないだご紹介した、香南市香我美町の安岡家住宅は、文政11年建築とされちょります。1828年ですき、あと16年で200年。軽くクリアしそう。
あの家の中に入ったことがある方はご存知でしょうが、とにかく造りが重厚、頑丈。土間の上に横たわる梁の木の太さは半端ぢゃありませんでした。
そして、長い年月、丁寧に丁寧に維持管理してきたがは、一目瞭然。うっとりするくらいキレイに使いよりました。使い込まれた建物の美しさ。
日本の木造住宅は、西欧の石造りの建物のように、長い年月同じ姿で残ることは稀。しかも、戦争や地震で焼失してしもうた建物も多い。ですけんど、木造建築は、日本の風土が生んだ作品でもあります。
生活習慣が変化し、長い年月の間に住みにくうなってきた場合に、基本はそのままに住環境を改良して、いつまでも住みやすうする、ということが大事でしょうね。
200年前の灯籠は、2度の南海地震に耐えて、今でも、こうやって頑丈に立っちょります。