バーガ森北斜面遺跡、岩神地区の発掘成果〔3203〕2012/01/22
2012年1月22日(日)晴れたり曇ったり
今日は、ここ、いの町バーガ森北斜面遺跡岩神地区の、現地説明会。バーガ森北斜面遺跡は、昨年2011年2月20日にご紹介しちゅうように、ひょっとしたらかなり大きな弥生時代の高地性集落遺跡かも知れんがです。昨年ご紹介した区域は、この写真の右上端に写っちゅう場所。もうちょっと東の、もうちょっと標高の高い場所にある弥生遺跡。あそこにも、たくさんの竪穴式住居が並び、たくさんの遺物が出土しました。
今回の、この岩神地区の調査では、バーガ森北斜面最大の、直径8mの竪穴式住居跡や、土器、鉄器、石器などの遺物が出土しました。それを分析してみますと、あの向こうの遺跡に比べて住居の規模が大きくしっかりしちょって、かなり恒常的な居住空間であったことが類推できるそうです。
向こうの遺跡から出土した遺物には、投弾と呼ばれる礫石など、武器として利用されるものが多く、また、住居も建てたり壊したりが簡単そうな簡便なつくりのものが多かったようです。この、手前の今次発掘調査の現場からは、もっと、生活に密着した土器や石器が出土しちょりまして、建物も恒常的な頑丈なもの。
中央左手に、竪穴式住居跡が見えますでしょうか。あれが、直径8mのもの。おそらく、このバーガ森北斜面の、かなりの権力者の住まいと思われます。この集落は、谷川の横につくられちょりました。その谷川は、中央右手の青いヘルメットの方のこちら側から、左端の岩のこちら側に流れよったそうです。いかがでしょうか。土の色が違います。赤っぽい土が、弥生中期末、つまり今から約2000年前のもの。手前の黒っぽい土は、もっと後世のもの。その間の部分を、谷川が流れよった痕跡がはっきり残されちゅうそうです。
左端の岩の下にも、もっと巨大な岩が転がっちょりますが、それらは、谷の土石流と一緒に流されてきたものにかありません。土器などが、その岩の周辺からどっしこ見つかっちょります。
そして、今回の発掘成果で特に注目されるのは、炭化した米やどんぐりが見つかったこと。中央左の竪穴式住居の手前に、ピンクの紐で四角く囲まれたところがあります。そこは、どうやら貯蔵庫。そこを掘りよりますと、黒い小さなツブツブが出て来たそうです。約500gの、炭化した米でした。
現在、その米の種類を鑑定中で、それによって、当時の、この界隈の暮らしがかなり具体的にわかってくるのであります。そして、今迄、高地性集落は、軍事目的で一時的に住みよった集落、という考え方もありましたが、これらの出土状況によって、高地に、恒常的に住みよったことがわかってきました。なかなかの成果です。
写真右下隅に水路が見えます。しかし、昨年からここを発掘しよりましたら、大雨が降った際に水流ができるがは、その、弥生時代からの水路跡の場所やそうです。今でも、水の流れは、2000年前と同じ場所にできて、こちらのコンクリート製の水路には、めっそ、流れんそうです。
その水路ができるところにあった谷川は、この高地に住んだ人々の生活を潤し、ときには土石流になって襲いかかり、弥生、古代、中世、近世と、残ってきました。
ここは、発掘前は、竹薮になっちょったそうです。長い長い間、人々が暮らしてきた地区は、近世から、使われることがなくなり、山に戻っていきました。
こういう風に眺めると、谷川の横の竪穴式住居で暮らしよったヒト達の姿が、アリアリと蘇ってくるではありませんか。すごい。