冬至、柚子、大豊、100歳の橋〔3172〕2011/12/22
2011年12月22日(木)晴れたり曇ったり
今日は冬至。昼間がどんどんと短うなってきよりましたが、これからはどんどんと春に向かうという訳です。早朝の東の空には春の大三角形。
さて、冬至と言うたら柚子。柚子は、高知の特産品。県内各地で柚子が生産されよりますが、ひまわり乳業が使用する柚子は、おおかた、大豊町産。昔から大豊町とは親しゅうにさせてきまして、柚子も、やっぱし大豊町、なかなか質の良い柚子が穫れる大豊町。ひまわり乳業の青汁「菜食健美」の原材料も、ケールを始めとして、すべての野菜のほとんどを大豊町で生産してもらいよります。
人口が減少し、「限界集落」という言葉が最初につかわれた地域としても有名。西暦2000年、65歳以上の人口が過半数を占める自治体は、全国で、ここ大豊町だけでした。今はどれっぱあに増えちゅうでしょうか。
この大豊、国道からちょっと別の道へと入っていくと、ものすごく深いことがわかります。こんな奥に、と思うようなところに突然集落が現れたりします。往古の昔より、ヒトは、山の奥の奥の奥まで集落を形成していきました。それが、今やどんどんと限界化しつつあります。
さて、この橋は、吉野川に穴内川が合流する地点の吉野川に架けられた「吉野川橋」。大豊町穴内にあります。明治44年に架けられたという、「原位置に現存する道路トラス橋としては国内最古」のもの。今年でなんと100年。今は、近くに国道32号線の大きな橋が架かり、老朽化も進んで通行止めになっちょりました。
以前もご紹介しましたが、高知出身の写真家で、島崎英祐さんという方がいらっしゃいます。1958年、大学写真学科の卒業制作で、吉野川の風景を撮影したがが縁となり、それから20年後、40年後、50年後と定点観測を続けた「セピア色の吉野川」という写真集を出版されました。その中に、この吉野川橋の、1958年、1979年、2008年の姿が写っちょります。1958年の写真では、現在の橋が架橋工事中。この橋の床には木の板が並べられ、車も通れるようになっちょりました。新しい橋が架かってからは、車は通行止めですが、木の板が張られた橋を地域の皆さんがのんびりと渡りよります。
3種類の違うかたちのトラスが組み合わされた興味深い橋。明治の末年に、これほどのものをここに架けた人々の苦労に感心します。大豊がどれだけ限界化しようと、この橋は、人類の文明文化、努力の結晶として、残していってもらいたいもんです。