昭和の南海地震から65年目〔3171〕2011/12/21
2011年12月21日(水)晴れ!
今年もあと10日。いやいや、時が流れるのは速いもんです。何となく街を行く皆さんも忙しそう。そんな12月21日。
昭和21年12月21日午前4時19分、昭和の南海地震が発生しました。中村の旧市街では、家屋の70%以上が倒壊する、という激烈な被害。そして、津波もやって来ました。
ここは今日の須崎。浜町の、港の近く。浜には、魚とかを干す台がしつらえられ、のどかなのどかな冬の午後。この海岸を、昭和の南海地震の際にも津波が襲いました。700隻近い船舶が流され、須崎だけで70名の方が亡くなっちょります。津波の高さは5mくらと見られます。
昭和の南海地震は、何度か書いてきましたように、今までの南海地震の中でも例外的に規模が小さい地震。それでも、この被害。今回の東北を見てもわかりますように、どんな規模のものがやってくるか想像想定は難しゅうございます。
この岸壁から山までは約500m。昭和の南海地震の際、津波の第一波は地震発生から10分後くらいといわれます。その短い時間で、山まで逃げることは可能なのか。須崎のこの界隈は、家々が立て込み、路地が入り組んでおります。当然、地震で家屋が倒壊したり火災が発生したり、ということも想定しちょかんといけません。そんな中、山まで500mを10分以内に避難できるか。これは、何度も訓練して、避難可能がどうか実証しちょかんといかんでしょう。
この季節の午前4時19分と言いますと、当然真っ暗で、かなり冷やい時間帯。そんな時に襲うて来る地震と津波は、いくら普段から避難をイメージしちょっても、なかなか簡単には逃げれそうにもありません。
どうしても山まで避難が不可能であると想定された場合は、避難施設を構築する必要もあるでしょう。こないだからの「命山計画」が、津波被害が想定されるすべての地区で検討できんもんでしょうか。
ここは、昭和の南海地震から65年目の須崎港です。