南国、広井城址の木質バイオマス〔3170〕2011/12/20
2011年12月20日(火)晴れ!
昨日高知へモンて来まして、日付が変わるまで飲みよりました。とさっ子タウンというプロジェクトの忘年会。若いヒト達の元気が素晴らしゅうございました。二次会は延々と続きよりましたが、朝が早いひまわり太郎は日付が変わってちょっとしたくらいでしっぽ巻いて帰って来ました。みんなあ元気ですな、まっこと。
さて、今日のお昼は、とある勉強会で南国市の西島園芸団地さん。昭和46年に始まった農事組合法人さんで、観光農園もやりよります。トマトカレーが美味しかったです、こじゃんと。
ここに昨年導入されたがが、木質バイオマスのボイラー。重油が高騰しちゅう今やったら、ランニングコストも半分近い経費でいきます。難点は、急激な温度変化に弱いことやそうで、その辺の改善が進めばかなり使えそう。ボイラー自体はスイス製で、新品の香りがしよりました。そのボイラー正面の小さな直径3cmくらいの丸い覗き窓からなかを見たががこの写真。無圧の開放式ボイラーですきに資格者は要りません。真っ赤な炎が美しゅうございました。
この界隈は南国市廿枝(はたえだ)。往古、宗部郷(そがべごう)に属しました。昔、秦氏が住んだことから秦地と読んだ、という説やら、岡豊に秦氏が住んだので、その秦氏の枝郷ということでハタエダになったという説やら諸説あるにかありません。どちらにしましても、長岡郡の宗部郷に住み着いた秦氏が長宗我部氏になったという話はホントのようです。
で、ここ南国市西島には、長宗我部氏の一族広井氏が、城を構えちょりました。中世末期の頃。「西の吉田城、東の広井城」ということで、岡豊城の守りを固めちょったとか。吉田城は、今年7月1日のにっこりでもご紹介しました。幕末土佐の超重要人物、吉田東洋さんのご先祖が主。そしてこの園芸団地の場所には広井城。園芸団地ができるまで、土居の跡が残されちょったそうです。広井氏の子孫はどうなったがでしょうか。少なくとも、園芸団地の組合法人さんのメンバーには居りませんね。
ここは、近くに高知県農業技術センターがあることでもわかるように、肥沃で豊かな土地。ただ、近くを流れる国分川が時折氾濫し、甚大な被害を被ったりもします。