浦戸町の修立社とアイスクリン〔317〕2004/02/27
2004年2月27日(金)快晴!
昨日、北奉公人町の「嶽洋社」をご紹介しましたので、今朝は、同じく立志社の流れを汲む自由民権運動結社「修立社(しゅうりつしゃ)」址へ行ってみました。ここは、はりまや橋の東、[315]で紹介した土佐橋の南の、浦戸町でございます。修立社は、明治10年、一圓正興(いちえんまさおき)を社長として設立されました。夜学会を開催して、商売人に自由民権の思想を勉強させたことでも有名な結社ですね。一圓氏は明治22年の高知市発足に伴い初代高知市長となり、以後17年間高知市の為に尽くしました。市役所前に頌徳碑が建てられちょりますね。
写真の、駐車場の向こうの「1×1=1」という看板は、高知の皆さんにはお馴染みですよね。高知名物「アイスクリン」の老舗高知アイスクリームのトレードマークです。高知でアイスクリンと言えば1×1=1。ここで作りゆうがですね。
その向かいに見える公園は「幡多倉公園」。この界隈に、藩政期、土佐藩の公的倉庫が立ち並び、ここの「幡多倉」という倉庫があったことに由来します。
この辺りは城下の「下町(しもまち)」。この東に船着き場があり、海産物を中心とする物流センターになっちょりました。明治になっても益々栄え、この通りをもう少し西へ行くと、西日本最大の料亭と言われた得月楼(陽暉楼)中店(現得月楼本店)がありました。
この「修立社址」という碑は昭和12年に建てられたものですが、由来などの説明が無いので、ほとんどの方はなんの記念碑やら知らんですよね。