初冬の日本海を知っていますか〔3154〕2011/12/04
2011年12月4日(日)日本海の海は大荒れ
今朝は山陰。鳥取県米子市。昨日仕事でやって来まして、夜 は米子の街でのどぐろを食べたりカニを食べたり。米子駅前のホテルへ帰ったら日が変わっちょりました。その身体に鞭打って、今朝は、皆生温泉まで走りに 行っちょりました。皆生温泉の北側は日本海。2003年10月14日のにっこりでも、同じように米子駅前から走ってきて海岸をたつくっちょります。
あれは10月でしたが、今回は12月。初冬の日本海。低気圧の関係でしょう、海は大荒れでした。太平洋が荒れちゅう風景とは全然違いますね、日本海。独特の雰囲気に溢れちょります。
こ の海岸に、この砂浜を守る努力のことが書かれた看板が立っちょりました。それによりますれば、ここから境港につながる、弓ケ浜とかを含む長い海岸線は、江 戸時代、どんどんと海側に堆積して広がってきたものやそうです。元々はもっとずっと陸地の方に海岸線がありました。江戸時代、この皆生の東に流れ込む日野 川の上流で砂金を採る「かんな流し」が盛んになり、それによって大量の土砂が流れ出して日本海に至り、この半島の東海岸にどんどんと堆積していって今の浜 が形成されていったということです。1年で2mくらいといいますき、すごいもんです。300年以上ですきに。で、大正の終わり頃、その「かんな流し」も行 われなくなり、それからは逆にどんどんと海岸線の浸食が始まりました。形を為しつつあった皆生温泉も、その施設が流され、浸食していったそうです。それ以 前は、この海岸は、こっから300mくらい沖にあったとも言われますきすごいです。戦後、様々な対策が採られましたが、成功したのは、離岸堤。今、海岸の ちょっと離れたところにブロックが積み上げられ、点線状の離岸堤となっちょります。それで、浸食はストップしたと書かれちょりました。
さて、この 写真では、大荒れの冬の日本海の様子が伝えきれちょりませんが、実際はなかなかのモンでした。右端、朝日の右手に大山があるのでありますが、雲に隠れちょ りました。写真左端の海の向こうには、東へ延びる海岸が写っちょりまして、たくさんの風力発電のプロペラが回りよりました。
高知では見ることのできん、趣き深い初冬の日本海の情景。