上町、本丁筋、龍馬生誕〔3135〕2011/11/15
2011年11月15日(火)晴れ!
今日は11月15日。全国的には七五三ですが、高知では龍馬の誕生日と命日ということでソバえます。坂本龍馬は、この場所で、天保6年(1835年)11月15日に生まれ、京の近江屋で慶応3年(1867年)11月15日に暗殺されちょります。
誕生祭ということで、未明の時間帯ですがこのように提灯が灯され、大きな垂れ幕がかかっちょりました。
ここは上町。
関ヶ 原が終わり、山内一豊さんが土佐に入国してきてから、この城下町の建設が始まりました。昨日、江戸の街は丘と谷と海岸部に形成されていったということを書 きました。都市は、ローマもそうであったように、そんな起伏の豊かな土地に形成されやすいと。しかし、高知の城下町は、そんな場所ではありません。
鏡 川や江ノ口川によってできたデルタ地帯。水運の便が良く、川を利用した防御にも優れちゅうということで、この場所が選ばれたがでしょうか。鏡川と江ノ口川 に挟まれ、中央に大高坂山がある地域。その中央部を郭中として武士居住区としました。江戸の場合、江戸城の南東の広大な場所に有力な大名屋敷群が区画され ちょったりしますが、基本的に丘の上や坂に武家屋敷、谷筋とか川沿いに町人の居住区、てな分け方ですが、高知の城下の場合はお城の山の周辺に有力武家が住 み、郭中の他のエリアに中級武士、そして、郭中の東の下町と西の上町に、町人と下級武士が住みました。ここ上町は商人や職人の住むエリア。そこの豪商才谷 屋の分家が、龍馬くんが生まれた家。元々商人で、郷士株を購入した家柄であったがはご承知の通り。この北が北奉公人町で、武家に奉公する使用人が多く住ん じょったエリア。元々は下級武士が住みついたところですけんど、かの野中兼山さんによって、江ノ口川の北側に下級武士居住エリアがつくられてそちらに移住 したので、段々と町人の町になったということ。つまり、この界隈、武士は少なく町人、特に商人の多い区域で、そのことが龍馬くんの人間形成にとって決定的 な影響を与えちゅうということは、もう、言い尽くされてきた感があります。