春野、荒倉神社の巨大な手水鉢〔3119〕2011/10/30
2011年10月30日(日)小雨
小雨降る中、今日も春野方面をたつくってきました。暑くもなく寒くもなく、ちょうどぼっちり走りやすい気候。こんなお天気が好きです。
朝倉界隈から荒倉トンネルを抜け、山の方にUターンして山沿いの道路を登っていきます。大きな養鶏の施設横を抜けながらどんどんと登り、そして山の間を下っていくと、ここ、荒倉神社が鎮座ましましちょります。
昔、 荒倉の峠道を越えていくヒトたちは、必ず立ち寄ったといわれる荒倉神社。後ろに聳える山から清冽な水が湧き出し、古来、春野弘岡の田畑を潤す水の神様とし て崇め奉られてきた古い神社。どうやら、6世紀頃の古墳時代には、界隈で川の神様を祀りよったにかあらん、そんなことを示す遺跡があります。
さて、その荒倉神社の鳥居の横に、それはそれは巨大な手水鉢があります。ひまわり太郎の首より高い高さがあり、縦も横も1m以上。手を清めるには、横の大きな石段を上らんといけません。こんなでかい手水鉢は、ちょっとお目にかかれません。
高知県立歴史民俗資料館の宅間館長さんが書いた「春野 歴史の百景」に、この手水の石が運ばれてきたときの模様が詳しゅうに載っちょります。
天 保11年(1840年)3月、根木谷から、4kmの距離を運んできました。根木谷は、こないだ10月9日にご紹介した観音堂のある谷。で、何と、延べ 20000人のヒトによって、20日かけて運んだそうです。高岡村の岩次、潮江村の常次、弘岡下の兼次らの木遣節にのり、石の上には2人のザイ振り。石の 周囲には裸の男衆が群がり、かけられたロープには30~40人の老若男女が手をかけちゅうという様子が、絵馬とかに描かれちゅうそうです。なかなか賑やか で華やかなイベントやったようです。完成の祝いには3石5斗の餅を撒き、酒2石を振るもうたといいますき、まあ、すごかったでしょうな。
今、その手水鉢には説明板もないので、静かに静かに参道脇に鎮座ましましちょりました。往事の賑やかさを妄想すると、楽しゅうなってきます。
そうそう、今日は、山の方から来ましたが、通常の参道は、弘岡からになっちょります。