安芸、春日神社の天晴〔3118〕2011/10/29
2011年10月29日(土)晴れ!
てな訳で、今朝も「天晴」。
ここは安芸市春日。ホテルタマイさんからちょっと北。土居まで行かん、途中の右手の森の中。春日神社さんが鎮座ましましちょります。その春日神社さんにも、「天晴」年号があるのであります。
参道脇の灯籠。この灯籠には「天晴元卯九月令日」と刻まれちょりました。灯籠の横には、ちょっと古うなっちょりますが、平成2年に、この「天晴」年号のことを書いた説明板が立っちょります。
この、「天晴元卯九月令日」という書き方、脳みそを刺激します。そう。こないだ10月10日にご紹介した、春野の御山所神社の狛犬台座に刻まれちゅうものと、一言一句違うちゃあせんではありませんか。これは偶然ではないでしょう。
大体、「吉日」という表記は良く見かけますけんど「令日」はかなり珍しい表現。それが一緒ということは、間違いなく、同じ時期に同じ思想的グループか仲間か親しい者か親類か、とにかく、関係のあったヒトが、安芸と春野でそれぞれ関わって寄進したものと類推できます。
写真を並べてよく見てみましたら、どうやら筆跡は違うにかありませんき、制作場所は別々やったがでしょうか。しかし、同じ志であったことはわかります。
謎の年号「天晴」は、どんな人達が使いよったがか、こじゃんと気になってきました。こりゃあ他の天晴、天星も見て来んといかんですな。
さて、この春日神社は、安芸の海岸からはだいぶ離れちょります。しかし、ちょっと東を安芸川が流れます。津波はどうやったでしょうか。
宝永大地震の津波が土佐を襲うたがは、宝永四年十月四日。これを今の暦に換算しますと、1707年10月28日になります。昨日が、宝永地震津波から丁度304年目ということでした。こんな季節やった訳です。
この春日神社の横が「玉造」という地区。ちょっと北へ行くと土居。宝永津波を記録した谷稜記では、「土居」のところに、
木村ハ事ナシ 玉作ハ半亡所
とあります。この界隈、海から離れちゅうとは言え、「半亡所」でした。