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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

桂浜、龍馬記念館の裏手から南西を眺める〔3105〕2011/10/16

桂浜、龍馬記念館の裏手から南西を眺める

2011年10月16日(日)快晴!

今日は良いお天気の日曜日。昨日は、2つの勉強会、1つのシンポジウ ムパネラー、3つの懇親会を掛け持ち、芸能人並みの忙しさでした。これがたまるか、というスケジュールを、車と自転車でかけずりまわりながらこなしたので ありました。自転車で移動中に雨が降り出したときには、どうしょうかと思いましたが、仕方ないので濡れたまんま疾走、皆さんにはそれほど迷惑もかけずに、 なんとか済ませることができました。いやあ、ダレた。
で、昨日のシンポジウムの会場やった桂浜荘さんに忘れ物をしちょったので、今朝、取りに行っちょりました。日曜日ということで、朝からたくさんの観光客さんで賑わいよりました。
桂浜荘さんの隣には、坂本龍馬記念館があります。青い海と青い空に生えるキレイな建物。それは、浦戸城の本丸の場所に立っちょります。
浦戸城は、鎌倉時代から豪族の砦があったにかありません。そりゃあ、こっからは太平洋、浦戸湾が見晴らすことができますきに、砦としては絶好。もちろん浦戸湾入り口で、交通の要衝でもあります。
戦 国期、本山氏が進出して来て浦戸城を築城。中世の山城ですけんど、浦戸湾の西側一帯を勢力圏におさめる本山氏の重要な城。永禄3年に、長宗我部軍に陥とさ れるまで、大切な拠点でした。ここを押さえた長宗我部氏は、それから土佐の中原を攻め進み、本山氏を撃破することになりました。
岡豊を本拠とする長宗我部氏も、秀吉に破れて土佐一国の領主となった後、今の高知城のある大高坂山に本拠を移しましたが、しゅっと、ここ、浦戸に城を築いて本拠としました。
秀吉との連携、朝鮮出兵の便など、ここに本拠を置いた方がなにかと都合が良かったがでしょうか。
山内一豊が土佐に入国してきて、最初は浦戸に入ります。長宗我部の残党が反抗し、浦戸一揆が起りますけんど、なんとか鎮圧。
この写真の眼下、一番手前のところに、その浦戸一揆の犠牲者を鎮める六地蔵さんが祀られちゅうがは、以前にも何度かご紹介しました。
山 内氏が本拠を高知城に据え、浦戸は廃城。ほとんどの部分は鬱蒼とした樹々に覆われてしまいましたが、本丸の石垣と、井戸は残り、ちょっとだけ面影を伝えて くれます。しかししかし、そんな重要な浦戸城の遺構を壊しながら国民宿舎や龍馬記念館や展望台をつくる、というがはどう考えても本末転倒でした。
ハコモノで観光客を集めるがもエイですけんど、長い長い目で見たとき、大切なのはホンモノの圧倒的な迫力。浦戸城の詰、天守台の上の樹々を伐採し、元親さんと同じ目線で海と空と土佐の大地を眺めてみたい、という夢は持ち続けちょります。


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