万延元年、安政七年、桜田門外〔3104〕2011/10/15
2011年10月15日(土)小雨
しかしまあ、昨夜の雨はどうでしょう。時化でした。台風みたいやったですね。会社の横の物部川も、またまた増水しちょります。今年何度目の増水でしょうか。秋も深まりゆうというのに。
さて、写真は今朝の上岡八幡宮。昨夜の風雨で、境内には木の枝やら葉っぱやらが散らかっちょりました。
参 道入り口脇には、二対の狛犬さんが鎮座しちょります。そのうち、小さい方の吽がこちら。万延元年九月十九日と刻まれちょります。万延元年と申しますと、桜 田門外の変をしゅっと思い浮かべます。何故かと言えば、大江健三郎さんの小説「万延元年のフットボール」のパロディ、筒井康隆さんの「万延元年のラグ ビー」が、桜田門外の変をイジった作品やったきです。筒井康隆さんのあのパロディ精神は、ただごとぢゃあなかったですね。小松左京さんの「日本沈没」が ヒットすると「日本以外全部沈没」を書きましたし。
さて、実際は、桜田門外の変が起きたのは安政7年3月3日。江戸城、桜田門の外で、大老井伊直弼さんが暗殺された事件。そんなこともあって、3月18日に、万延と改元したのでありました。
岩 波文庫にもなっちょりますが、幕末から明治初めの世相を聞き書きした「幕末百話」という本があります。書いたのは篠田鉱造さんという新聞記者さん。報知新 聞の記事として、明治35年に書かれたものが纏められちょります。明治35年にして、もう、幕末の話は異国の話のようである、と書かれてあります。この本 の貴重なところは、記録とかに残っちょらん、庶民目線での幕末が、その風俗や文化と一緒に織り込まれちゅう部分。ですきに、ホントに、ものすごく興味深 い、面白い読み物になっちょります。「現在」を残して行くことは、なんちゃあぢゃないことですが、後世になってみると劇的に貴重になる、ということがよく わかります。その幕末百話に、桜田門外の変のことも出て来ます。取材されたのは、とあるお殿様が江戸城へ登るのを警護する役目の方。
屋敷を出発しょうとしよったところへ、「た、た、大変だ~!」と事件のことを伝えるヒトが飛び込んできて、現場へ確認のため走ったそうです。その日は真っ白く雪が積もり、その雪の上が赤く血で染められちょった、ということを、臨場感のある目撃談として語っておられます。
正式な記録には、そのとき重要と思われたことしか記載されない。しかし、後世の者にとって重要なのは、その時点では当たり前でなんちゃぢゃない、と思われるようなこと。時間が、内容に価値を与えていってくれるのでありますね。