伊能忠敬さんと小松与右衛門さんと寺尾弁吾さんとセクハラ防止〔3088〕2011/09/29
2011年9月29日(木)晴れ!
今日も心地良い朝。今朝も赤岡です。
赤岡には、古い民家も多く、昔こじゃんと栄えちょった痕跡がイタルカシコにあります。ご紹介せんといかんモノも多いですね。今朝は伊能忠敬さんゆかりの場所。
文 化5年(1808年)、伊能忠敬さんの指図による幕府天文方一行がここを訪れ、測量したそうです。で、北緯33度33分の位置とされる場所に杭が打たれ ちょりました。その場所は、向こうの赤いレンガ塀の角辺りにかありません。その後、帝国陸軍の測量で再確認され、その杭は御影石に改められて、鎮座し ちょったそうですが、戦後の道路舗装工事の際にどこへ行ったかわからんなったそうです。どうやら捨てられたにかありません。ガイなことしますな。で、近 年、今一度、その場所であることを示すオブジェが置かれました。その、黒い四角い碑の向こうの、ベージュ色のまん丸こいものがそう。
因に、携帯 GPSで調べてみたら、ここは北緯33度32分28秒。う~ん、ちょっと33分には離れちゅう。伊能忠敬さんの時代の測量としては、上等の精度でしょう。 いや、ひょっとしたら、もっと正確にわかっちょったがかも知れませんが、栄えちょった赤岡の中心部ということで、多少の誤差には目をつぶって、ここに杭を 打ったがかも知れんですね。しかし帝国陸軍はイカンでしょう。緯度の1秒は31mくらいですき、北緯33度33分00秒までは32秒の誤差。つまり、 1km近い誤差があります。そうやって見てみると、丁度須留田八幡宮辺りが北緯33度33分00秒でしょうか。
どうぢゃちカマン話を長々とすみま せん。赤岡の素晴らしさとは関係なかったです。その向こうの赤煉瓦塀の中には、立派な蔵と古い漆喰の建物。初代村長、小松与右衛門さんの邸やそうです。貧 しい身から頑張って、立身出世した人物。この道路の南側には、それはそれは立派な商家づくりの家が。寺尾木材店の跡やそうです。この場所を測量した文化5 年、その初代当主寺尾弁吾さんが生まれました。上で書いた、北緯33度33分の須留田八幡宮の鳥居に、その名が刻まれちょります。
さて、左手の犬のオブジェは、どうしたものかは知りません。口に「セクハラ防止!」と書いた木札をくわえちょります。そう。セクハラはいけません。