今、赤岡がおもしろい〔3087〕2011/09/28
2011年9月28日(水)快晴!
良いお天気です。ここは早朝の赤岡。平成の大合併で、平成18年、香南 市になりました。香南市は、赤岡町、野市町、夜須町、香我美町、吉川村が合併してできましたが、市役所は旧野市町におかれましたね。野市は、高知市のベッ ドタウンとして人口も増え、今では、市役所が野市ということで皆さん納得。ですけんど、ちょっと前まで、この5町村で一番栄えよったがは、誰が何を言おう と赤岡でございました。
昔から、土佐東部への街道が通り、良港に恵まれ、交通の要衝。特に発展したがは寛文(1660年代)以降と言われちょりま す。藩政期、製塩業、竹加工、酒造、紺屋とかが発展しましたが、特に栄えたがは綿織物やったそうです。その形態は、マニュファクチュア化した大きなもの。 廻船問屋の活躍も半端ぢゃあなく、城下の商人を凌駕すると言われました。
そんな赤岡も、今は、静かな街になりました。しかし、昔の立派な建物がたくさん残り、町並みもなかなか美しい。赤岡と言えば絵金ですが、赤岡の楽しさは絵金だけではありません。早朝、色々と廻ってみましたが、興味深いモノがどっしこでした。
こ の写真の右手は、西川屋さんというこじゃんと老舗のお菓子屋さん。赤岡が本店やったがですが、数十年前がら高知市内に本拠を移し、多店舗で営業されてきま した。最近、この場所に、数十年ぶりにお店を再興、資料館もつくって、素敵な雰囲気を醸し出しちょります。資料館にある文書は、藩政期、菓子や素麺製造の 認可をもろうた文書やら、安政の南海地震のことを書いた文書やら、とにかくすごい、貴重な物ばっかし。一度、皆さんもご覧になってみてください。
今、 芋ケンピが高知名産。このケンピという名称は、この西川屋さんが、藩政期初期に、素麺の製法にヒントを得て創ったお菓子、堅干(けんぴ)から来ちょりま す。小麦粉と砂糖だっけが原料という、昔ながらのお菓子。芋を、このケンピに似いた形に揚げたがお菓子に、芋ケンピという名前を付けたという訳です。
今、 イタリアなどに代表される、世界中の海辺の小さな漁村で、その歴史、伝統、文化を今一度クローズアップし、ブラッシュアップすることで、街が再生して行き よります。赤岡は、空襲にも遭わず、古い町並みや文化が残されちょります。これから、かなり期待できる街やないでしょうか。今、赤岡が面白い。