仁淀川の濁流、養甫尼、安芸家友〔3079〕2011/09/20
2011年9月20日(火)降ったりやんだり
北上始めた台風は、今日から明日にかけて高知の沖を通ります。はやいこと行き抜けて欲しいもんです。このところ降った雨で、県下の河川はどこもかしこも増水しちょります。会社の東側の物部川も、そしてここ仁淀川も。
こ の眼下には、普段は、広い河原があります。今朝は、このように堤防いっぱいに川幅が広がって、大河の趣。写真中央、とっと向こうの川の中に、黒い点のよう なものが二つ見えます。あれは釣り人。鮎釣りでしょうか。危ないですね、見るからに。たぶんこんな状態の川でよう釣れるということで、ぞぶりこんじゅうが でしょうけんど、見るからに危険。一つ間違えば濁流に流されてしまう、まさに命がけの鮎釣り。
川の中程は、すごいスピートの濁流。しかし、この真 下のように、樹々が生えちゅう岸辺は、池のように静か。これが自然の力でしょうか。コンクリート護岸で、障害物をなくしてしまうと、こうはならんでしょ う。まあ、水害のメカニズムは複雑ですき、簡単に考えたらいかんがでしょうけんど。
ここは、伊野の、国道33号線の橋の上流。いの町加田。このちょっと上流に、高知の皆さんにはおなじみのキャンプ場があります。対岸の、もうちょっと南が波田。戦国期、波田玄蕃さんが本拠とした波川城があります。
波 川玄蕃さんに嫁いだがは、長宗我部元親の妹。しかし玄蕃さん、元親さんの怒りに触れて攻め滅ぼされてしまいます。出家した元親妹は、出家して養甫尼を名乗 り、この加田から山へ入った成川という地区で隠棲。兄元親よりも、夫の玄蕃をとった訳です。そこに、かの、安芸国虎さんの次男の安芸家友くんを、逃げ ちょった阿波から呼び寄せて養いました。
そこに、伊予からやって来た新之丞さんという人物が、行き倒れてきます。病気やったようです。介抱して容態が回復すると、新之丞さん、お礼に製紙法を伝授してくれました。それに改良を加えたがが土佐七色紙。
伊野は、今でも紙の町で、手漉き和紙の本場。その礎は、養甫尼と安芸家友くんにあったというお話。
戦国時代、有名な家柄のひとたちは、あちらこちら入り乱れちょって複雑です。成山で暮らしたのは、元親妹と国虎次男。理由を探っていくと、かなり楽しそうです。