雪の福井城址〔307〕2004/02/17
2004年2月17日(火)北陸は曇り
今朝は福井県。出張でございます。
福井市内も、まだまだかなり雪が残っちょりまして、道路の脇にはうずたかく積み上げられた雪が高知にはない北国独特の景色をつくりあげておりました。
福井と言えば越前福井藩。徳川家康の息子結城秀康を藩祖として、明治まで松平の治世が続きました。
写真は、福井城の天守台の石垣。ここは面白い事に、お堀に囲まれたお城の区域にドカーンと県庁が鎮座しちょります。高知県庁もお堀の中ですが、堀端の端に引っ掛かる様に建っちょりまして、この福井県庁ほどあからさまではありませんね。
このお城は。1601年に秀康によって築城された頃は「北庄(きたのしょう)城」と呼ばれよったそうですが、この写真の先に「福の井」という井戸があったことから「福井」と呼ばれるようになっていったそうです。
天守閣は1669年に焼失し、その後再建の許可が出ずにそのままになっちょります。この石垣、戦後の1948年の福井震災の際にかなりの被害を受け、その傷跡がそのまま残されちょります。
越前福井藩で英主と言えば幕末の16代藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)でしょう。身分に関わらず、数々の英知を日本国中から集めた事で、幕末はとても注目される存在になりました。肥後から招聘した横井小楠は有名ですよね。勝海舟をして、「この世に恐ろしい人物が2人居る。西郷吉之助と横井小楠だ。」と言わしめた鬼才です。その他にも由利公正なんかもおりますね。
我が坂本龍馬も2度福井藩を訪れちゅうそうです。2度目の訪問の際には由利公正と会談し、大政奉還が決定した話と、維新後の国家財政について論じたそうであります。