1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

久枝 亡所、下島 亡所、下田村 亡所〔3046〕2011/08/18

久枝 亡所、下島 亡所、下田村 亡所

2011年8月18日(木)晴れ!

少し雲が多いですが晴れ。今日も暑いです。ここは南国市前浜。
今 まで、このにっこりでも何度かご紹介してきました。掩体壕。えんたいごうと読みます。戦時中、今の高知空港の場所に海軍航空隊の飛行場が建設されました。 その、飛行機の格納庫が、この界隈に点在してつくられ、今でもそれが7基残っちゅうがです。「前浜掩体群」として、平成18年に南国市の史蹟に指定されま した。やっとこさ。
戦争の状況を今に伝えるホンモノの遺跡、掩体壕。結構ザッとした鉄筋コンクリートづくりで、この中に飛行機を格納し、米軍の空 襲に備えた訳です。このような案内板は、以前はありませんでした。見学用の駐車場と、案内板が整備され、随分とわかりやすくなりました。子供達に伝えてい かんといかん戦争遺跡。グラマンの機銃掃射の跡が残されちょったりしまして、ここに、戦争があった、という記憶を鮮明に伝えるものです。
この案内 板には、なぜ、この掩体の天井部分にセメント袋の跡がついちゅうがか、説明しちゃありました。掩体をつくるには、まず、掩体の内側の大きさの土まんじゅう をつくります。そしてそれを大勢で踏み固めます。その作業は、地元の中学生や受刑者、朝鮮から強制移住させられた人々がかり出されたそうです。そして、そ の土の上にむしろやセメント袋を敷き詰め、その上にセメントを流し込んで塗り固めます。そして、固まったら、内側の土を取り除いてできあがり。で、天井に セメント袋の跡が残っちょったりする訳です。なるほど。
ところで、この界隈の北側は下田村という集落。戦国の頃、千屋氏の居城があったエリア。この南が海抜10mちょっとの砂丘になっちょりまして、その上の伊都多神社が、南海地震津波の際の避難場所に指定されております。
こないだからご紹介の宝永地震津波の記録、谷稜記を見てみます。
久枝 亡所
下島 亡所
下田村 亡所
前濱 半亡所
つまり、この、掩体群の界隈は「亡所」、全部流された、という記録です。ここと太平洋の間の砂丘に前浜の集落があります。たぶん、砂丘の上の伊都多さんとかは大丈夫で、そこより低い場所は全部流された、ということ。
こ ないだ、前浜の友人と話しました。今回の東北を見ると、以前の規模は参考にならない。ひょっとしたら20m規模でやってくるかも知れん。そうなったら、伊 都多さんでも危ない。あの、伊都多さんの高さの場所に、避難タワーを建設するがが一番良いのではないか、ということでした。もちろん、久枝や下田村は、そ こまで逃げる時間が無いので、別途に避難場所が必要でしょう。対策が急がれます。


←前日の日記2011年08月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2026年

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  x