電車軌道跡から穴内の海岸〔3033〕2011/08/05
2011年8月5日(金)晴れたり曇ったり
今朝も、昨日の八流、穴内界隈。この海岸には、このようにサイ クリングロードが整備されちょります。夜須から安芸までの結構長い距離。何故、そんなハイカラなものが整備されたか。それは、土佐電鉄の電車が安芸まで走 りよったきです。ひまわり太郎が中学生の頃まで。安芸から通学して来よった先輩は、電車の乗って来よりました。しかし、県東部に国鉄の鉄道をつくるとか で、後免町から安芸までの間は廃線になりました。それから、社会環境が激変し、結局鉄道が安芸まで走るがに28年もかかってしもうたがはご承知の通り。
で、路面電車にも乗り入れる電車の軌道は、その広さといい勾配といい、自転車道にボッチリやったという訳です。
ここは、矢流の台地から穴内へ下るサイクリングロード。昔は電車の走りよった道。その向こう、白い波しぶきが立ちゆうクが、昨日ご紹介した、堤防が崩壊しちゅう場所です。
そ の向こうへ行くと、ちょっと海の方へ張り出しちゅう台地が見えます。そこに、安芸氏の守り、新庄城がありました。海岸線から安芸の街へ入ってくるがを防 ぐ、最後の砦。その北西に穴内城がありまして、そこは、岩崎弥太郎ゆかりの妙見山をまわって安芸城の背後に出る道を押さえちょりました。今でも、安芸の皆 さんにとっては、元親さんに破れた安芸国虎さんは英雄なのでありました。その名前を冠したうどん屋さんは、その新庄城の向こうの国道沿いとフランスのパリ に店を出しちょりまして、流行っちょりますね。
さて、こないだもご紹介した、奥宮正明さんがまとめた宝永地震津波の記録「谷稜記」には、安芸浜の記載があります。
安喜濱
半亡所 潮ハ北田丁十町ホドニテ 新城新在家亡所
この、「新城新在家」は、あの、新庄城址の下の海岸界隈ながでしょうか。この海岸は、やはり、津波で亡所になる可能性があります。