大きな波が破砕され、堤防が破砕され〔3032〕2011/08/04
2011年8月4日(木)晴れ!
今日は晴れちょりますが、海は結構荒れちょります。海岸沿いの街々は、薄い靄がかかったようになっちょりますが、これは、豪快に打ち寄せられた波のしぶきが舞い上がって形成されたもの。
写真は、今朝の安芸市穴内(あなない)。矢流(やながれ)と穴内の境目界隈。こないだご紹介した津波想定区域の西側で、「想定外」の区域。
先 日の台風6号によって破砕された堤防が、今でも無惨な姿を晒しちょります。ズタズタになった堤防残骸に波が押し寄せ、ドーンっと大きな音が響きゆうがが少 し怖いです。これで台風が直撃してきたら、かなり恐ろしいですね。自然の力のすごさを感じます。この堤防の内側はサイクリングロードでしたので、このよう な案内表示も立てられちょった訳ですが、ご覧の通り。
このしゅっと西は、台地になっちょりまして、道路は坂道。八流坂。そう。やながれは、「矢 流」やったり「八流」やったりします。八流坂の上には、戦国期、八流砦が築かれ、安芸国虎さんが支配しちょりました。永禄12年(1569年)、長宗我部 元親軍は、意を決して土佐の東部に攻め込みます。安芸勢は、岸本の姫倉城、和食の金岡城を落とされて、八流砦が最前線基地になりました。このとき。
長宗我部軍は、カラの船を仕立てて幟を立て、貝を吹き鳴らし、船縁を叩いて鬨の声をあげました。海から攻め込んでくると思うた安芸軍は混乱、実際は台地から攻め込んできたので八流砦は陥落、この東の穴内城まで逃げ込んだ、という話が残されちょります。
八 流という地名は、山から8本の渓流が流れよったので「八流」、という説があります。また、戦の際、大雨が降って渓流が増水氾濫、武器である矢が千束流さ れ、矢が大量に流れていったので「矢流」という説もあります。この西のレストランには、安芸軍と長宗我部軍が戦うたとき、矢が流れるように乱れ飛んだので 「矢流」、という説も紹介しちょったと覚えちょります。
晴れたお天気のなか、大きな波が次から次へと押し寄せてくる風景はキレイですらあります。しかし、その威力はすさまじい。人間の力は、自然を屈服させることは絶対にできない、ということがよく解る風景です。