神の山を結ぶ直線〔3031〕2011/08/03
2011年8月3日(水)晴れ!
今日も雲が多い予想でしたが、朝は雲も少なく、久々に夏らしい青空が広がります。クマゼミの鳴き声も最盛期でしょうか。
さ て、今年3月3日のにっこりで、古代土佐の条里制に関する仮説の話を書きました。南嶺最高峰の烏帽子山と、高知市北西に屹立する鴻ノ森を結ぶ線に沿うて、 古代土佐の街づくりが行われたがやないろうか、という仮説。一般的ではありませんが、なかなかに興味深い説ではあります。3月3日のにっこりでご紹介し た、今の旭小学校界隈にあったとされる土佐国造邸がその線上近くにあり、そっから、南北の山を立てて街づくりしていったがやないか、というのはひまわり太 郎の妄想。妄想ついでに、こないだの日曜日、思いついたことがあります。
7月31日の日曜日は、南嶺をたつくってきました。そして鷲尾山から吉野に下り、神田の温泉につかってバスに乗って帰ってきた訳です。そこで発見しました。
写真は、今朝の、その温泉の前。右手が高知市立神田小学校。
ず うっとたつくってきて、この左手のゴールに着く直前、前方に山が見えました。二つの山が重なって見えます。手前は、あの形からして間違いなく鴻ノ森。烏帽 子山より少し低い、標高300mの山。戦国期には、本山氏配下の神森(こうのもり)出雲が城を構え、土佐の中原を睥睨した、土佐中原のランドマーク。おっ とと思うて後ろを振り返ると、烏帽子山。烏帽子山と鴻ノ森を結ぶ直線に近いところを、この道路は走っちゅうがです。そして、鴻ノ森の向こうにもうひとつ高 い山。形が神奈備型で、美しい山。よくわかりません。何という山でしょうか。
古代、平地と湿原で見晴らしが良かった時代、あの、神様の居そうな山が二つ並び、その頂上を結んだ直線上に、これまた神様の山、烏帽子山があって、それらを結ぶ線上に街を形成していった、という妄想はいかがでしょうか。