弥生時代から古墳時代の香長平野を妄想する〔2994〕2011/06/27
2011年6月27日(月)降ったりやんだり
今朝は、突然ガイに降ったかと思うたら日が照ったりという激しいお天気。汽車に乗って本州方面に向かう予定やったがですが、土讃線が大雨で不通。仕方ないので車に乗って香川県坂出までやって来ました。こっからマリンライナーに乗って本州へと渡ります。朝っぱらから騒動しました。
さて、ここは、その騒動の前にお参りに行ったいつもの上岡八幡宮。昨日、一昨日と、遺跡の話題を書きました。特に、一昨日ご紹介した西野々遺跡は、弥生終末期に存在し、古墳時代になると消滅する、しかも近畿圏の影響が色濃い住居遺跡で、色んなことを想像させてくれます。しかもしかも、住居が廃絶された後、20cmくらいの河原石が大量に投げ込まれ、その上に完形の土器が押しつぶされた状態でどっしこ出土しちゅうそうです。これは、この住居を離れる際に、そこをお祀りした痕跡かも知れません。とにかく、土佐の弥生住居遺跡で、そんな「後仕舞い」をして廃絶されたようなものは珍しいですね。
あそこで南四国最大級の住居に住んだ人たちは、その場所に仕舞いをつけて、どこへ行ったがでしょうか。想像するだに謎が深まって楽しいですね。
昨日の夜、歴史民俗資料館の宅間館長さんと飲みホゲよりましたが、そこでもこの話題になりました。土佐には、前期古墳がありません。弥生終末期の土佐の有力者は、いったいどうなって行ったのか。前期古墳がでてきたら状況がわかってくるがでしょうが。
弥生集落は、古墳時代になって拡散していきました。その拡散の方向のひとつが野市方面。東野土居遺跡などなど。そして、その後、ここ上岡や香宗川上流方面に、物部氏の勢力が強うなっていっちょります。石船伝説はその名残。
そこで妄想するのが、この上岡山とか、野市の台地上、そして香宗川上流方面に、ひょっとして、前期古墳がないがやろうか、ということ。専門家ぢゃあございませんので、たぶん有り得んような妄想かも知れません。が、前期古墳が存在するとしたら、この界隈やと思えてなりません。
一昨日の場所に勢力を持っちょった一族が、近畿の勢力を背景に、物部川の東へ移住し、古墳をつくるような勢力に発展したとしてもおかしゅうない、という妄想も暴走します。