弥生後期の巨大竪穴住居跡で妄想する〔2992〕2011/06/25
2011年6月25日(土)あづい!
それにしても暑いです。予報では曇りやったですが、朝からギラギラお日様で、湿度も高いですきに汗が噴き出してきますね。そんな炎天下、南国方面へ走りに行っちょりました。心地よく汗が噴き出し、しまいのほうには頭がクラクラしてくるランニングでございました。
途中、ここ、南国市立香長中学校に寄りました。ここの、武道館建設現場で、弥生時代終末期の住居遺跡が出土、発掘調査が行われよりまして、今日はその現地説明会やったがです。知った方の顔もいくつか見え、まあ、この界隈は掘ったら出る、というばあ遺跡が多いところぢゃのう、という話をしました。この南の、校舎の所にも竪穴住居群がありましたし、このしゅっと北側の道路建設現場もそう。こっから田村にかけては、やっぱりすごいです。
田村は、南四国最大級の弥生遺跡。物部川の自然堤防上に広がる集落は広大。そして、ここのように、弥生時代も後期になってきますと、その外縁が広がり、この界隈から長岡台地、そして野市の台地上などに集落が形成されていきます。灌漑などの技術向上に伴うちゅうがでしょうか。
今回、この西野々遺跡で注目されたがは、この写真手前の竪穴住居跡。丁度、扇形の部分だけ見えちょりますが、これを円にしたら直径11.5mになるそうで、面積は63畳分くらい、発掘された部分の柱穴から想像して、たぶん10本柱の巨大な竪穴建築物やったと思われるとのこと。そして、近畿、河内平野から持ち込まれたと思われる土器片が出土。
弥生後期、物部川の自然堤防上、そして、たぶん現在の前浜切戸界隈から海が入り込み、形成されちょったラグーンの縁辺に集落が形成されていったでしょう。そのラグーンには、遠く近畿からやって来た船が土器を運んできて、停泊したでしょうか。南四国に出土する弥生土器には、近畿のものが多く含まれるそうです。
弥生時代が終わり、古墳時代になると、この遺跡は断絶してしまいます。野市の台地方面に、その時代の住居遺跡が増え始めます。近畿勢力との関係がどうなっちょったのか、妄想が広がりますね。古墳時代、香美郡界隈には物部氏の匂いが濃くなってきます。
ここの、巨大な住居を建てた有力者は、近畿のどうんな勢力とつながっちょったのか。想像するだけで楽しゅうなってきませんか?暑さは吹き飛びませんが。