東京でビックリ〔2991〕2011/06/24
2011年6月24日(金)晴れ!
今朝は東京。朝っぱらから暑いです。節電で、クーラーの温度設定も高めですき、ホントに暑い東京。で、昨日の夕方、JRの中央線、国分寺から新宿方面に向こうて乗っちょりましたがこじゃんとビックリすることがありました。途中の駅で乗って来て目の前に立ったおんちゃん。どっかで見た事のある顔。なんと、東京で学生をやりよった時分の、ゼミの1年後輩、徳田くんではありませんか。そんなにビッシリ来る訳でもない東京、その込み合う電車の中でバッタリと知人に遇う、ということの珍しさ。いやいや、たまげました。十数年程前、日本橋の地下鉄の駅で学生時代の友人矢治くんに遭遇して以来のビックリです。
さて、昨夜は羽田空港近く、穴守稲荷さんのしゅっとネキに泊まっちょりました。で、早朝、穴守稲荷さんにお参りした後、羽田空港界隈をたつくってきました。この右手が多摩川の河口で、手前が、多摩川に流れ込む海老取川。南北に流れる海老取川の東側が、羽田空港の敷地になっちょります。
藩政期の頃、この東側は堤が築かれて新田として開発され、たくさんの人々が生活する場になりました。その堤は、しばしば大波で穴が開き、被害を被りよりました。そこでお稲荷さんを祀ったところパッタリと被害を受けんなったところから、穴守稲荷さんとして尊崇されるようになったというお話。で、昭和初期の頃には、この海老取川の東側に鈴木町、穴守町、江戸見町の3つの町が形成されちょりました。
終戦後、進駐軍に飛行場が引き渡されることになり、昭和20年9月21日、その3つの町に住む3000人余りが48時間以内の強制退去を命じられたそうです。ガイなことしますな。穴守稲荷さんは海老取川の西の現在地に遷座、川の東には民家の一軒もなくなりました。その際、参道にあった大鳥居がひとつ、地域住民達の想いによって奇跡的に残されました。ターミナルビルの駐車場の一角。しかしながら空港拡張工事などによってその大鳥居がマギることになり、撤去やむを得ず、ということになりました。そこで住民達がお願いし、海老取川河口のこの場所に移設され、平和のシンボルの鳥居として残ることになったのでありました。
とっと向こうに、完成間もない国際線ターミナルが見えます。新しい立派な施設ができていきます。その場所には、歴史や想いがつまっちゅうということを、記憶していかんといかんがです。