宝永4年か嘉永4年か〔2980〕2011/06/13
2011年6月13日(月)晴れ!
雨上がりの朝。濡れた緑が朝日に輝いて美しゅうございます。
昨日、潮江天満宮さんの天保6年(1835年)の灯籠をご紹介しました。が、ここ、いつもの野市、上岡八幡宮さんの灯籠で一番古いのは、文化9年(1812年)。結構古いです。いずれも、宝永南海地震と安政南海地震の間。
その、上岡八幡宮さんの拝殿前。この石は、自然石でできた、大きな手水。船のかたちにも見えます。この上岡八幡宮さんには、以前もご紹介した石船伝説が残りますので、その石船を象ったものでしょうか。
その石船のこちらがわの面がこの写真。ご寄進された年が刻まれちょります。上の感じが読み取りにくいですが、その下には、永四年、とあります。最初、この神社にご寄進されちゅう灯籠とか鳥居とかの年号に鑑みて、嘉永4年(1851年)かと思いよりました。参道入り口の鳥居も嘉永4年のものですし。
しかし、この上の文字、なかなか嘉には読めません。江戸時代、下に永の文字がくる年号に当てはめてみますと、寛永4年(1627年)、宝永4年(1707年)、安永4年(1775年)、そして嘉永4年(1851年)。この中で、寛永は違うでしょう。安永とも読めません。そこで候補になるがが宝永。宝は、昔の字で寳。この文字、寳に読めませんでしょうか。そうしますと、この石船がご寄進されたがは宝永4年(1707年)ということになります。一番古い灯籠の、105年も前。そんなことがあり得るのかどうかはわかりません。もしそうやったとすれば、なんと、宝永南海地震の年。今から304年前。宝永地震津波は、上岡八幡宮さんの山の下まで到達したでしょう。もっと北まで押し寄せたかも知れません。
その年、この石船の手水がご寄進されちゅうとしたら、津波の前が後かで意味合いが違うてきますね。