潮江天満宮と宝永地震津波と天保6年の灯籠と龍馬さん〔2979〕2011/06/12
2011年6月12日(日)雨
しっかりした雨脚。よう降ります。季節は梅雨のど真ん中。
ここは久々の潮江天満宮さん。雨にも関わらず、家族連れでお参りする方が後を絶ちません。今月30日には、もう、輪抜け様です。
あの立派な楼門をくぐり、左手に神池を見ながら右折した所に、今年3月にご寄進された新しい灯籠が立っちょりました。このにっこりひまわりを始めて、この参道脇に新しい灯籠が立ったがは初めて。嬉しゅうなります。そっから拝殿の方へ向かうと、3段ばかりの石段が。その石段下の左に、ご覧の灯籠が立っちょります。ひまわり太郎が見た所、現在の潮江天満宮境内で一番古い部類の灯籠。
天保乙未 季秋 と刻まれちょりますね。天保6年(1835年)秋、ということでしょうか。龍馬さんは天保6年11月15日生まれですきに、秋ということは、龍馬誕生直前に、ご寄進された灯籠かも知れません。龍馬さんと、ほぼ同い年。龍馬さんちは、鏡川の対岸のちょっと西。この天神様の前でよう泳いだということですきに、まだ立ったばかりの、この灯籠を眺めたかも知れません。
さて、以前にも書きましたが、宝永南海地震津波は、現在の高知の市街地を襲いました。現在の繁華街の廿代橋界隈で水深が2mを超えちょったということ。そして鏡川南岸、潮江地区が海没。筆山の麓、山内家菩提寺の真如寺前でも、水深2mの浸水やった記録が残ります。この写真の、向こう側の林のその向こうが真如寺。地面の高さはメッソ変わりません。ですきに、この灯籠の文字が刻んじゅうあたりまで、水没したかも知れません。宝永の時代には、まだこの灯籠も立っちょりませんでしたが。こっから石段を3段上がっただけの高さの拝殿前広場も、拝殿も、浸水したでしょうか。摂社も浸かったでしょうが、拝殿西側の小山の上にある大山祇さん、当時は大山祇さんではなくて磐座(いわくら)があるだけやったかも知れませんが、そこだけ、助かったかも知れません。
安政の南海地震を、この灯籠は経験しちゅう訳です。この灯籠と同い年の龍馬さんも、江戸の剣術修行からモンて来ちょった時代ですき、一緒に高知の城下で経験しちょります。安政津波はここまでやって来んかったでしょうか。