新しい山〔2970〕2011/06/03
2011年6月3日(金) 曇っちょります
自転車で田んぼの中の道を通勤すると、稲の成長が目に見えてわかります。もう、20cm~30cmくらいに成長し、緑色も濃くなってきました。来月には稲刈りですきんね。早いもんです。
こ こは、その出勤途上の風景。介良を過ぎ、大そねに至る途中の伊達野(いたちの)から住吉野界隈。前方の森に見える部分は、かつて船岡山のあったところ。船 岡山は住吉山とも呼ばれました。標高54.1mの山やったそうです。いかがでしょうか、現在の姿を見ると、ここに標高54.1mの山があった風景が想像で きますでしょうか。ケイ石の鉱山ということで山は切り崩され、今は外周の木々だけが楕円形に残され、内側は窪みのようなってしもうちょります。住吉大明神 の鎮座しちょった場所は、新しく整地され、古い本殿も、その整地された場所に鎮座ましましちょります。
土電の電停に「住吉通り」というのがありますが、あの電停からまっすぐ南へ行けばこの元船岡山に突き当たり、その山には住吉大明神がございます。ですきに住吉通りな訳ですが、その電停名の由来を知っちゅう方はどれっぱあいらっしゃるでしょうか。
山 では無いなった船岡山。向こう側のホテルの建物が、こちらからも見えます。標高54.1mの山があった姿を妄想してみましょう。「土佐州郡志」に、船岡山 は「多松樹」とありますきに、松の木の多い山やったがでしょうか。東に、てっぺん部分が空港の関係で切り取られた吾岡山があります。切り取られる前の標高 は63.5m。在りし頃の船岡山を想像するのに、現在の吾岡山の姿が参考になります。ここにあったのは、あの吾岡山よりちょっとだけ低いくらいの山という 訳です。
さて、南国市の太平洋岸には、こないだからご紹介しゆう久枝など、大津波から避難する高い場所のないエリアがあります。今次の大震災をう けて、どうやら、そんなエリアには、「盛り土による人口高台」も検討されゆうそうです。一昨日開催の、南国市主催による東日本大震災調査(報告会)で発表 されよったそうですね。よう行かんかったがが残念。
世の流れの中でなくなっていく山もあります。さすれば、新しくつくられていく山もありでしょう。そんな山なら、ぜひぜひつくっていってもらいたいと思いました。