東京、蒲田、延喜式〔2954〕2011/05/18
2011年5月18日(水)晴れ!
しかし昨夜は慌てました。昨日、にっこりひまわりをUPしたがは夜の10時過ぎ。今までも、連続が途絶える危機は何度かありました。最大の危機は2008年5月28日。あれも、東京で、京急沿線に泊まった時やったです。
あの時は、まだUPしちゃあせんことを自覚しての危機でしたが、昨夜のは、完全に勘違いしての危機ですきに、ホントに危なかった訳です。ホテルへ早めに帰ってよかったです。あちこち飲み歩かんと。
さて、久々の東京。昨日の夕方着の飛行機でやって来ました。やっぱし、なんとなく暗い、いつもと違う雰囲気は拭えません。羽田空港が節電で暗いがが、暗い印象を強うしちゅうがでしょう。
写真は蒲田のヒエ(草かんむりに稗)田神社。早朝、蒲田界隈をたつくりよって、お参りしてきました。延喜式内社ですき、古いです。延喜式は西暦927年に完成しちょりますき、その当時から、この地域の有力神社やった訳です。社伝には、和銅2年(709年)に、かの行基上人が「天照大神」「応神天皇」「春日大神」の三柱を祀ったというががありますが、これはちくと無理がありそう。後世、日本中でつくられた行基上人伝説のひとつでしょう。
そんな訳で、現在のご祭神は、誉田別命(応神天皇)、天照大神、武内宿祢命、荒木田襲津彦命、春日大神。八幡様として、ながく尊崇されちょったようです。そのくせ、天照大神が祀られて神功皇后が祀られちゃあせんがが不思議。
ひまわり乳業の東、野市を東北東へ行きよったら稗地(ひえぢ)という地区があります。ここには日吉神社が鎮座しちょります。稗は日吉で、比叡山の山王信仰に起源があります。ここ、ひえ田神社は、延喜式でもひえ田神社という名前。日吉、日枝との関係はどうなっちゅうがでしょうか。
写真の鳥居は、寛政12年(1800年)に近在の氏子さんがご寄進されたもの。花崗岩の風合と、姿形の風格が感じられます。古い由緒のお宮さんに、よう似合うちょります。