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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

忘れられた高知の風景、新地線〔2955〕2011/05/19

忘れられた高知の風景、新地線

2011年5月19日(木)晴れ!

高知へモンちょります。昨日の朝の飛行機でモンて来ました。高知の日差しと空気の清浄感は、やっぱし東京とは違います。
こないだ、5月13日に、稲荷新地の港と土電の電車のことを書きましたところ、友人から、あそこは稲荷町ではなくて若松町ではないか、というご指摘を頂戴しました。そうです、若松町です。申し訳ございません。
藩政期、あの界隈にはほとんど家もなかったそうですが、幕末の慶応2年(1866年)、池(現在医療センターのある地区)の慶蔵さんという人物があの場所に宅地を造成することを願い出て、翌々年の明治元年から藩が直営で堤防と宅地の工事を行い、その翌年完成したそうです。しゅっと西に稲荷神社が鎮座しちゅうので、稲荷新地と呼ばれるようになりました。海の玄関のようになり、遊郭料亭もできて一大歓楽街になったがはご承知の通り。
その、港利用客の為と、歓楽街利用客のために、現在の知寄町2丁目電停からあの場所まで電車が引かれたがが明治44年。知寄町2丁目電停は、当時、「新地通」という名称。そして終点は「新地」。路線の名称は「新地線」。
こないだうちから書きゆう、馬場孤蝶さんが帰高時に利用しよったのは、その名称の頃です。昭和11年に「海岸通」「海岸通終点」に、昭和13年に「若松町通」「若松町」に改称されたそうです。
写真は、新地通、海岸通、若松町通と名称が変わって、戦後、知寄町2丁目になった電停から、新地線が走っちょった道路を眺めたもの。向こうへ行った突き当たりが若松町、稲荷新地。
この通り、前に職安があった通りと言えば、高知の皆さんにはわかり良いですよね。
現在、このもうちょっと向こう左手界隈が稲荷町。で、突き当たり界隈の海沿いは若松町。
いかがでしょうか。この通りを、深夜まで電車が走りよった風景が想像できますでしょうか。その先には歓楽街。
新地線は、昭和19年7月、休止になりました。戦争がややこしいことになってきて、「節電」にために休止。新地でホタえゆうご時世でもないなってきた訳です。戦争に勝ったら、再開するつもりやったがでしょうか。
敗戦後、たぶん、復活することもなく、昭和29年に正式に廃線が決定しちょります。忘れられた、高知の意外な風景。


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