久枝の避難施設と命山〔2922〕2011/04/16
2011年4月16日(土)晴れ
今朝の高知新聞に、今回の巨大津波で、釜石市の世界一の防波堤、それに宮古市の日本一の防潮堤が崩壊した記事が載っちょりました。その防潮堤は、1960年のチリ津波で威力を発揮し、街を守ったので、防災の成功事例として紹介されよったそうです。しかし今回、防潮堤の倍の高さの津波が襲い、無惨に崩壊してしもうたそうです。今回も大丈夫、と思うて、避難が遅れた方も多かったと聞きます。
今朝は、ひまわり乳業から南へ3km、久枝へ来てみました。海岸に、東西に延びる集落。昭和21年の南海地震津波は、この、海抜6~7mの集落を越えず、北側の日章方面は無事でした。
地元の方と、こないだ話しましたが、昭和の南海地震でも大丈夫やったき、今度来ても大丈夫、とおっしゃっておりました。危ないですね。
ここには、大きな建物、構築物がありません。街中につくられちゅう避難施設は、この消防の屯所。左手の電柱に、「予想津波高6mです。ここは海抜6.7m。もっと高い所へ」と書かれた表示板が貼っちゃあります。
今回、東北では、想定の倍以上の高さの津波が襲うております。高知県は、安政南海地震規模を想定して防災計画を策定しちょりますが、過去、それより大きい地震と津波は何度もやってきちょります。この、予想津波高6mというがが安政規模を想定しちゅうとしたら、その倍の規模やったとされる宝永級の地震津波がきたらどうするがでしょうか。この高さの避難所で間に合うがでしょうか。
「もっと高い所へ」と書かれても、この北側は空港敷地で入れず、西、数キロの琴平山まで逃げる時間はありません。今一度、検討と対策が不可欠な地域ですね。
1707年の宝永地震の際には、こっから北へいった所に標高20m足らずの山がありました。そこへ逃げ上ったり、流れ着いた方は助かったので、命山、宝山、と呼ばれた、という話をこないだ3月28日のにっこりに書きました。空港の滑走路建設によって崩されてしもうた命山。
ですきに、その替わりになる、大きな頑丈な避難施設が、早急に必要ながです。
前回大丈夫やったき、次回もかまんろう、が、一番危険であることを、今回の大震災が教えてくれております。