奥谷南遺跡をみつけました〔2915〕2011/04/09
2011年4月9日(土)晴れ
昨夜雨が降り、今日はこじゃんとぬくい土曜日になりました。久々に走りに出ちょりましたが、Tシャツだけでもかなり暑かったです。今日たつくったがは岡豊界隈。こないだ、2月26日のにっこりでご紹介しちゅうものの、結局たどりつけんかった奥谷南遺跡を、今度こそ探し当てるべく、たつくってみました。
医大病院の横を北上し、高速道路のある山の斜面をたつくること1時間。やっとのことで探し当てました。普通ではなかなかいきつきません。探し当てた瞬間は、かなり感動しました。
写真は、奥谷南遺跡の、8mの巨岩の上。向こうに医大病院と岡豊山が見えゆう、谷間の斜面。
この界隈は、県内でも有数の、古墳などの遺跡がある場所。ここには、弥生時代の高地性集落があり、また、縄文時代の遺跡があることは知られちょりました。高知自動車道の工事を行うに際し、平成6年から発掘調査をやったところ、なんと旧石器時代のナイフなどの遺物が大量に出てきました。古いものは、20000年前。
この谷に、20000年前に人類が生活しよったということ。この岩陰で、20000年前、ご先祖様が生活しよったと考えたらすごいですね。その頃は、この前の界隈まで海やったともいわれ、現代とは全然違う地形環境でした。
20000 年前にここに住むヒトたちは、狩猟採集の生活をしよりました。その為、たぶん、このようなちょっとだけ高地の岩陰に住むがが便利やったがやと思います。しかし20000年というと、人間文明の歴史でいえばとてつもなく昔。弥生時代が10分の1の2000年前ですきに。その時代、インドネシアのフロレンス島には、ホモ・フロレシエンシスという、身長1mくらいのヒト(現生人類とは違う)が生活しよりました。その同じ時代に、ここでヒトが生活しよったとは。感無量です。
歴史民俗資料館に展示されちゅう石器はなかなか精巧にできちょって、感心させられます。
今日は、こっからあの岡豊山の上にできた、望櫓まで行ってみました。中世の、長宗我部氏がつくったものを、可能な限り忠実に想像してつくった望櫓。それに上って睥睨すると、国親、元親親子が何を想像し、夢見たかがわかります。ぜひぜひ、皆さんも上ってみてください、何度も書いてきましたが、ここで想像できたことから国親元親の快進撃が始まったがです。
昨日書いたように、防災も想像する力が大切。今、想像力が問われております。