広島の復興と動的平衡〔2913〕2011/04/07
2011年4月7日(木)広島は薄曇り
復興の町、で、真っ先に思い浮かぶのは広島やないでしょうか。昭和 20年8月6日の原爆で、すべてが焼け落ちてしまった広島。同じ戦争被害でも、大空襲と違うのは、根こそぎ、すべて、灰になっていったということ。余りにも凄まじい惨状でした。その広島は、今では、見事に復興し、新しい時代に向けて邁進しております。
ここは広島市民球場跡。2009年3月をもって、その役割を終えたこの市民球場は、言わば、復興のシンボルでもありました。昭和32年といいますき、やっと、あの惨状から立ち上がってきた時期に、ナイター設備を備えた市民球場がオープン、広島カープの本拠として、そして市民の球場として親しまれるようになった訳です。
そしてその復興のシンボルも、次世代の素晴らしいマツダZoomZoomスタジアムに席を譲り、今、ここ原爆ドーム前で静かにたたずんじょります。
2008年6月7日のにっこりバックナンバーをご覧ください。丁度、この角度から撮影した市民球場が写っちょります。今は、正面部分が取り壊され、向こうにバックスクリーンのスコアボードが見えるようになりました。
今朝は、広島城界隈をたつくってきました。城内には、いくつかの「被爆樹木」があります。爆心地から数百メートルの広島城で、すべてが灰になったと思いきや、いくつかの樹木が被爆後も生きながらえ、今も元気に屹立しちゅうがです。ユーカリやクロガネモチなどなど。平和大通りの白神社さんの横にも、被爆したムクノキ があります。
こうやって見てみると、放射能も怖いですが、自然の力もすごいものがあります。人間の力も、素晴らしいです。凄まじい状況の中から立ち上がり、復興していく力。時間をかけて、しぶとく、ちょっとづつ、ですね。
この写真のように、広島は、復興を成し遂げ、次のステージに向かおうとしよります。